青木拓磨がバイクで鈴鹿サーキットを走った!

2019/07/10

 

「青木拓磨がバイクて鈴鹿サーキットを走った」と聞いて「マジか?!」と驚く人は多いだろう。

全日本ロードレース、世界グランプリで活躍していた青木拓磨は、1998年2月シーズン開幕前のテストで転倒、脊髄を損傷して下半身不随となった。その拓磨が最新のHonda CBR1000RRに乗りサーキットを駆け抜けた。

このHonda CBR1000RRは青木宣篤、青木拓磨、青木治親の青木3兄弟による「Takuma Riders Again Project」によって造られた。左ハンドルに設置された二つのボタン:緑色:シフトアップ、赤色:シフトダウンを押すと、油圧でシフトペダルが上下してギアチェンジを行う。クラッチも付いておりスタートと停止時に使用する。右ハンドルは通常のバイクと同じ、スロットルとフロントブレーキ。足を使わずとも両手と上半身だけでバイクを操ることができる。両足は自転車のペダル(レースバイク用)を利用して足が動かないように固定している。

このプロジェクトは治親の発案でスタートした「2018年のフランスグランプリのイベントで身障者の方達がバイクを乗っている姿に衝撃を受け、拓磨にもう一度バイクに乗って欲しい、と言う思いからこの企画を立ち上げました」治親の思いを知った宣篤がプロジェクトとして具体的に進めるべくとりまとめた。

「障がいを負ったからと言って人生を諦めることはない、チャレンジすることで人間はエネルギーを発生させ、生きる力を生み出すことができる」という考えで、子供バイク教室やレンタルバイク耐久レース(レン耐)、四輪レース活動などを行ってきた拓磨。

7月27日の前夜祭、28日決勝日の朝、鈴鹿8耐に訪れた大観衆の前でこのマシンで走りを披露する。

「ケガをしてバイクに乗れなくなったり、車椅子の生活になったことで夢を諦めたり、目標を失った人でも「もう一度バイクに乗れるかも」と言う希望と勇気を与えたい」と語る。

治親と宣篤の申し出に拓磨は即決したい気持ちもあったが、拓磨がバイクに乗るには絶対に人の手を借りなければならないので自分だけの希望だけで進めてはいけない、と当初は我慢していたそうである。しかし宣篤がこのプロジェクト名の由来を語った。「バイクに乗るには人と人が支え合わなければならない。支える人がいて支えるモノがある。周りの協力なくしては進めない、だからサイドスタンドプロジェクト」

拓磨が鈴鹿サーキットを走ったのは1997年の世界グランプリ以来22年ぶり。当時拓磨のトレードマークだった赤いスカーフを治親が用意。拓磨は持ってこようと思っていて忘れたそうである。久しぶりの鈴鹿サーキット、久しぶりのレーシングマシン。治親も宣篤も「デモラン程度にのんびり流す」と思っていたのにいきなり240km/hの最高速度を出す本気モード。これには集まった報道陣もビックリ。その後約20分間フルコースを走行、最高速度は250km/hにまで達した。

「身障者の人も健常者の人も、チャレンジすることを止めずにエネルギーに変えることができたらこのプロジェクトは成功なのではないかと思っています」

「この自分をみてもう一度バイクに乗ってみたいな、と言う人が増えてくればフランスみたいに障がいを持った人たちのバイクレースを日本国内でも開催したい、という思いがあります」

今回のプロジェクトは始まったばかり。これを機に障がいを持った人たちでもバイクに乗れるシステムや組織が生まれてくることを期待したい。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI