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2022年鈴鹿8耐フォトギャラリー

後藤純カメラマンの鈴鹿8耐フォトギャラリー

2022年鈴鹿8時間耐久ロードレースは長い8時間の間に様々なドラマが生まれている。数多くあるドラマの中でカメラマン目線で切り出した写真を掲載したい。
撮影者はレースカメラマン:後藤純氏だ。
後藤氏曰く

「鈴鹿サーキットはカメラマンにとって挑戦したらキチンと応えてくれる素晴らしいコースであり、8時間という絶妙の長さは選択と決断を常に迫られる面白さがあります。

そして、今も鈴鹿で戦っているジーノ・レア選手と彼のご家族、医療従事者の皆様を想って」とのこと。

素晴らしい写真の数々をご覧いただきたい。

2022年鈴鹿8耐参戦体制発表

2022年鈴鹿8耐参戦体制発表

新型コロナウィルスの感染拡大で2020年、2021年と開催中止となっていた鈴鹿8時間耐久ロードレース。3年ぶりに今年は開催される見通しだ。去る6月9日、10日には合同テストが開催され、鈴鹿8耐に向けた準備は着々と進んでいる。

ここにきてチームの参戦体制発表が相次いだ。現時点で発表されているチームについてご紹介する。

SDG Honda Racing

鈴鹿8耐優勝回数の多い名門チーム・ハルクプロは「SDG Honda Racing」として、名越哲平、榎戸育寛、浦本修充、の3名で戦う

 

Team ATJ with 日本郵便

全日本ロードレースを戦う「Team ATJ」と「日本郵便Honda Dream TP」がコラボ。岩田悟、高橋裕紀、小山知良、の3名で戦う。

 

 

KRP三陽工業&RS-ITOH with VISSEL KOBE

全日本ロードレース現役最年長の柳川明が、若手の松崎克哉、長谷川聖とチームを組んで参戦する。

 

Murayama.Honda Dream.RT

秋吉耕佑率いるMurayama.Honda Dream.RTは、ベテラン出口修と今野由寛の3名体制で臨む。

 

TOHO Racing

今シーズン開幕前のテストで怪我を負い、6月の合同テストから復帰した清成龍一と國峰啄磨、國川浩道の3名でTOHO Racingは参戦する。

そして今日(6/20)注目のホンダワークスのチーム体制が発表された。

Team HRC

開発ライダーを務める長島哲太。BSBを戦う高橋巧、WSBKに参戦しているイケル・レクオーナのラインアップとなった。

次回テストは7月5日(火)6日(水)に開催される。3年ぶりの鈴鹿8耐はすぐそこまで迫ってきている。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

「ウェビック チームノリック ヤマハ 2022年チーム体制」発表会

 

神奈川県横浜市・株式会社リバークレインで「ウェビック チームノリック ヤマハ 2022年チーム体制」発表会が開催された。

「世界で通用する日本人ライダーを育てたい」。ノリックの愛称で親しまれた故・阿部典史選手の強い要望により2006年に設立されてから今年で16年目を迎える。

そのノリックの長男:阿部真生騎が全日本ロードレースにフル参戦する。しかもST600クラスとJSB1000クラス(2戦スポット)とのダブルエントリー。

青田魁は昨年に引き続き筑波、もてぎ、SUGOの地方選手権に参戦する。国際ライセンス取得の資格を保持しているのだが今年一年数多くのレースに参戦して来年の全日デビューを目指す。

阿部真生騎(18歳):全日本ロードレースST600クラス、JSB1000クラス(スポット参戦)

昨年までは地方選手権を中心に経験を積んできた阿部真生騎がいよいよ全日にフル参戦する。しかも今年はチームのエースとして。その顔つきも凛々しくなってきた。

「昨年はあまり良い結果が残せませんでしたが、シーズン後半から徐々に上向いてきました。昨年後半から1,000ccバイクにも乗って走り込みをしていますので、だいぶ慣れてきました。

今年は1日でも早く表彰台に登れるようにしっかりと走りたいです。そしてチャンピオン争いにも絡んでいきたいです。」

「ST600クラスがメインですのでJSB1000クラスは転倒しないようにして、他の選手の走りを見て学んでいきたいと思います。」

普段のトレーニングの結果を活かせれば(ST600クラスで)勝てるチャンスはあると思っています。JSB1000マシンは600 と違って制御が効いているので難しいです。そこに早く慣れてST600で勝てるようになりたいです」

青田魁(16歳):筑波ロード選手権、もてぎロードレース選手権ST600クラス 他

2017年に、わずか12歳でチームに加入した青田魁。S80、J-GP3クラスを経て昨年ST600クラスにステップアップ。元気の良さから転倒も多いがポテンシャルは高いライダーだ。

「まずはこのような環境を与えてくださったチームの皆様、スポンサーの皆様、そして応援してくださった皆様に感謝申し上げます。

「去年の最終戦では2位表彰台獲得、59秒代に入るなど上向きに仕上がってきたのですが、先月の練習でアクセルの開けっぷりが良すぎて転倒してしまいました。そのため先週の筑波ロードレース選手権開幕戦に参戦できず残念でした。

リハビリを兼ねて昨日もてぎのスポーツ走行に参加しました。まだ握力がなくて心配だったのですがそれ以外は問題なかったので今週末のもてぎ選手権開幕戦には参戦して表彰台を目指したいと思います。

SUGOは未経験なのでスポーツ走行に参加してセット出しをして開幕から表彰台争いに加わりたいと思います。応援を何卒よろしくお願いいたします。」

阿部光雄監督

「2006年に設立した「ウェビック チームノリック ヤマハ」の初期のメンバーである野左根航汰が、昨年ワールドスーバイク選手権に参戦しました。初年度ということもあり苦戦しましたが今年は活躍すると確信しています。

昨年まで在籍していた阿部恵斗は前半苦しみましたが後半戦からはポールポジション獲得、表彰台に2度上り調子を上げ、今年はチャンピオンを狙える位置に行くと思います。ウェビック チームノリックでは全日本を3年経験したら卒業としていますが、一年延長しました。今年は他チームで活躍してほしいと願っています。

阿部真生騎はまだまだ経験も力も不足していますが昨年に比べて相当成長しています。さらなる飛躍を願ってチームの柱として全日本ST600フル参戦を決めました。

また、開幕戦からSUGOまでの間がかなり空いてしまうので、鈴鹿2&4、オートポリス2&4にJSB1000クラスでスポット参戦する予定です。」

「青田魁は昨年ST600デビューでしたが序盤のケガが影響して前半戦は苦しみましたが後半戦から調子を上げてきました。元来ポテンシャルの高いライダーですので今後も期待できます。国際ライセンスの資格はあるのですが、今年一年は修行ということでもてぎ選手権でチャンピオンを獲って来年に繋げたいと思います。

まだまだ若い2人ですがポテンシャルは無限大だと思っています。小さなチームですが、多大なる協力をいただいている株式会社リバークレインさんをはじめ、たくさんの応援していただいている皆様に感謝しております。チーム一体となって2人のチャンピオン獲得を目指して全力で進んでまいりますので応援のほど、何卒よろしくお願いいたします。」

信濃孝喜 株式会社リバークレイン代表取締役社長

2010年から長きに渡りサポートを続けている株式会社リバークレイン。信濃社長の熱い思いがチームに伝わり阿部監督との良い相乗効果を生んでいる。

「チームノリックの「若いライダーを育成する」というビジョンに共感してサポート開始から今年で13年目を迎えます。世界に通用する若いライダーは着実に育っています。

野左根航汰選手は昨年から世界の舞台WSBKで活躍し、岡本裕生選手はヤマハファクトリー入りが決まり、ケミン・クボ選手も今年からMoto2を走ります。阿部監督の指導方法が間違っていないことを証明していると思います。そしてこの流れはこれからも若いライダーの登竜門、育成機関として継続することを願っています。そして阿部真生騎選手、青田魁選手も先輩たちに続いて世界に羽ばたいて欲しいと思っています。」

「また、ウェビックとして全日本ロードレースを盛り上げていきたいと思っています。その一環としてレースのライブ中継を配信している「モトバトル」に協賛いたします。さらにウェビックのサイトでも全日本の視聴者が増えるような仕掛けを行っていきたいと思います。その他EWC、JNCCのサポートも継続していきます。

コロナかも明ける兆しが見えてきていると思います。リバークレインとしてレースのデジタルトランスフォーメーションを仕掛けてこの業界全体を盛り上げたいと思っています。これらかも何卒よろしくお願いいたします。」

チーム設立当初から一貫して「世界で通用するライダーを育成したい」という目標にからブレずに活動をしているチームノリック。そして、その姿勢に共感してサポートを続けているリバークレイン。この良好な関係だから世界に通じる若いライダーを輩出することができているのだろう。そしてノリックのような世界中から愛され、活躍するライダーが生まれてくることを期待したい。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

ヨシムラSERT Motul 2021年FIM世界耐久選手権チャンピオン獲得祝勝会

2021年、世界耐久選手権にワークス体制で臨んだ『ヨシムラSERT Motul』は参戦初年度にして世界チャンピオンに輝いた。

その報告と感謝の意を込めた祝勝会が12月22日神奈川県厚木市のレンブラントホテルで開催された。当日は約200人もの出席者が訪れ世界チャンピオン獲得を祝った。会場のテーブルは各席アクリル板で仕切られ、ワクチン接種証明の事前提出、現場での抗原検査が実施され、万全の感染症対策を講じての開催となった。出席者の中になんと長瀬智也さんが。サプライズプレゼンターとして登場、会場がどよめいた。

先ずは加藤陽平チームディレクターが挨拶。ステージに登壇したスタッフ12名全員を紹介。このチームで世界を相手に闘った。「参戦初年度にチャンピオン獲得という最高の結果を残せました。しかし我々だけで成し遂げられたものではなく、ここにご出席のスポンサーの皆様、無理な注文を聞いて下さっている協力会社の皆様、サーキットの内外でアドバイスをいただいているヨシムラOBの方々、そして、世界中の熱いヨシムラファンの方々の応援があったからこそだと思っています。本当にありがとうございました。」

Photo出典:EWC

ヨシムラは言わずと知れた名門チーム。創業者の“ポップ吉村”こと吉村秀雄氏率いるプライベートチームが1978年鈴鹿8時間耐久レース第1回大会でメーカー系チームを抑えて優勝、度肝を抜いた。今回タッグを組んだSERT(SUZUKI ENDURANCE RACING TEAM)も耐久レースの名門。過去に16度の世界チャンピオンに輝く。今回は日仏混成チームでEWCに参戦。日本でも有名なルマン24時間耐久レース、ボルドール24時間耐久で優勝、参戦初年度にしてシリーズチャンピオンを獲得した。

参戦ライダーのシルバン・ギュントーリ、グレッグ・ブラック、ザビエル・シメオンはコロナ禍において来日が難しく残念ながらビデオメッセージでの参加となった。スズキ株式会社スズキレーシングカンパニー長 近藤豊様、スズキレーシングカンパニー レース車両開発グループ長 佐原伸一様からもお祝いのビデオメッセージが届く。

MOTUL Japan副社長 岡本崇様、株式会社デンソー 点火システム技術部長 度会武宏様から祝辞をいただいた後に代表取締役社長村不二雄氏がニコラス・ロディル・デル・バレ・ゴールドメダルを受賞したことが報告された。この賞は二輪レース活動に多大な貢献をした人物、企業の経営者に与えられる名誉ある賞。この受賞を不二雄氏は大層喜んでいた。

「ファクトリーチームとしての参戦初年度にチャンピオン獲得できたことは正直驚いています。ですが単なるまぐれではないとも感じています。ライダーの的確な判断、メカニックの冷静な作業、そして全員のチームワークによるものだと思っています。1978年ボルドール24時間、翌年のルマン24時間に参戦しましたが結果はリタイア。1988年デイトナ200マイルでケビン・シュワンツが優勝。SERTへルマン24時間耐久仕様のエンジン提供とメンテナンスを受託しました。結果は2位でしたがその時に感じたことは、欧州は二輪耐久レース及びモータースポーツ全体が高い社会的価値を認められているということです。そのような中でFIMから今までの功績が認められ、ゴールドメダルを授与されたことは喜びの極みです。」

「また、この章は毎年授与されると思っていたのですが「該当者がいる時のみの受賞」と聞いて自分の耳を疑いました。と同時にこの上ない幸せを感じました。ありがとうございました。」

 

ここで誰もが驚くハプニング(?)が起きた。バイク好きで有名な長瀬智也さんがサプライズゲストとしてお祝いに駆けつけた。登壇するや否や会場はどよめきが起きる。長瀬さんから加藤ディレクター、不二雄社長へ花束贈呈。スピーチを依頼される。

「なぜ(自分が)ここにいるのか?と、不思議に思うでしょう。みなさんすごい勢いでスマホを取り出しましたね(笑)ありがとうございます。」といきなり笑いを取る。

「ヨシムラさんとはひょんなきっかけで出会いました。その話をすると時間が足りなくなるので割愛します。僕は神奈川県に生まれ、目を開けて間もなくレースの世界が目の前にありました。オヤジがずっと筑波でレースをしていました。それから43年間、乗り物を愛して、どんな時代も、どんなときも、すぐ近くに「ヨシムラ」というフレーズがありました。年を重ねていくごとに日本のモータースポーツのスピリッツにも魅了されていきました。今となってはヨシムラの応援団として心の中で応援させていただいております。僕はずっとエンターテイメントの仕事をしてきました。その世界を抜けて進化するべく今もなお次の目標に向かって走り続けています。」

「僕が人生の最後の最後までに自分の中でやらなければいけないと思っていることが、いくつかあります。その中のひとつが「この日本でレースを盛り上げること」。それは僕の中で大きな問題としてこれから生きていく中で向き合っていきたいと思います。」

「EWCワールドチャンピオンは、今の日本の少しぬるま湯につかった気持ちにカツを入れてくれたんじゃないかと個人的に思っております。ヨシムラさんのように速く走ることだけを考えるシンプルな生き方に、その背中を見続けてこれからも応援し続けていきたいと思っております。不二雄さん、陽平さん、これからも僕たちにレースで元気を与えてくれたら嬉しいと思っています。僕らもヨシムラが元気になるように、いつまでも応援していきます。今後とも日本でレースを盛り上げてお互いに楽しい人生を歩んでいけたらな、と思っています。」

と、日本のバイクレースを盛り上げたい、と切に思っていることを告白。とても心強いサポーターが現れた。最後に「このような場所に参列してお話するのは緊張しています。でも、この緊張も思い出にしまって、明日からまた精進したいと思います」とコメント。長瀬さんがサーキットに姿を見せてくれることを願いたい。

サプライズの興奮さめやらぬ中、いよいよ乾杯。ご発声はMOTUL Japan岡本副社長。美味しい料理に舌鼓を打ちながらの歓談タイム。

ここで今年のマシン開発に多大なる貢献を果たした渡辺一樹と加藤ディレクターのトークショー。ヨシムラが九州福岡に構えていた黎明期に活躍した『雁ノ巣会』九州タイミングアソシエーションの太田祐三氏、倉留福生氏による当時の懐かしいエピソードを披露。さらに、ヨシムラに初めて全日本ロードレースチャンピオンをもたらした辻本聡氏、2007年鈴鹿8耐優勝した加賀山就臣、2009年鈴鹿8耐優勝の酒井大作の3人によるトークショーステージが繰り広げられた。

今シーズン、ヨシムラの開発ライダー、第4ライダーとして活動した渡辺一樹。レーシングライダーとしての実力、開発ライダーとしての能力の高さは折り紙付きで加藤ディレクターも認めるところ。そしてもちろん、走っても速い。今年の全日本ロードレース開幕戦もてぎ。絶対王者中須賀克行を破ってポールポジション獲得。これには不二雄社長も大喜び。決勝レース1では3位表彰台、レース2では2位表彰台を獲得する。いずれも中須賀に僅差で迫る接近戦を演じマシンの速さとライダーとしてのポテンシャルの高さを見せつけた。

1985年ヨシムラに移籍したその年にチャンピオンを獲得、その翌年も連覇した辻本氏。ヨシムラの全盛期を築いた貢献者のひとり。近年はレーシングアドバイザーとてしてライダーをメンタル面からも支えていた。酒井も津田拓也も辻本氏の元でライダーとしての成長を果たした。今回、1986年全日本チャンピオンを獲得した時のチームウェアを持参。ヨシムラOBたちから懐かしの声が聞かれた。

一昨年は電撃トレードでヨシムラから全日本ロードレースに参戦して皆を驚かせた加賀山。ヨシムラの長い鈴鹿8耐の歴史の中で8回参戦。数々いるヨシムラライダーの中で最も鈴鹿8耐を走った回数が多いライダーだ。そのほとんどをトップ争いに絡んでいた。加賀山の熱い走りはファンを魅了し、今でも現役の彼の走りは注目されている。

2011年にSERTでシリーズチャンピオンに輝いた酒井。ヨシムラとSERT、二つのチームで優勝を経験している。ルマン24時間耐久ではエースライダーとして走行、しかしライダーチェンジするスティントが「通常は第1ライダー→第2ライダー→第3ライダー、と順番に走るけど、この時は1-2、1-3、1-2、と自分だけめちゃくちゃ多く走って明け方の走行時には悲しくも無いのに何故か涙が溢れて泣きながら走った」と笑いを交えながらエピソードを披露した。

あっという間に3時間近く経過。株式会社ブリヂストンモータースポーツ部長堀尾 直孝様より締めのご挨拶。「ヨシムラさんからサポートを頼まれるのは光栄であると同時に物凄いプレッシャーでした。前年度のチャンピオンがブリヂストンにスイッチしたら獲れなかったという事態は避けなければならなかったので。ヨシムラさんから求められる高い性能と耐久性に応えるべく全力でサポートしました。今年は日本からの声援でしたが、来年は是非、現地でチャンピオン獲得のお祝いを共有したいと思います」と来年のサポートも確約(?)。

ゆかりにある方々、スポンサー企業、協力企業などこれほど多くの出席者が訪れるのはヨシムラがいかにみんなから愛されているか、を象徴している。

不二雄社長は『ニコラス・ロディル・デル・バレ・ゴールドメダルの受賞は、創業者の秀雄から始まり、孫に当たる陽平の代まで一貫して続けてきた“ヨシムラジャパン”への贈呈』とコメント。

創業者ポップ吉村の時代から連綿と受け継がれるレーシングスピリット、これに誰もが惹かれる。

2021年12月。祝宴の最中であるが、気持ちは既に来年の準備に向かっている、と加藤ディレクター。来年はどんな闘いを魅せてくれるのか、世界中のヨシムラファンは楽しみに待っている。

Photo & text: Toshiyuki KOMAI

全日本ロードレースのゼッケン制度変更

みなさん既にご存知のことと思うが2021年シーズンからゼッケン番号制度が変わった。

昨年までは各ライダーが自分の希望するゼッケンを登録できたが今シーズンからは前年度のランキング順のゼッケン指定となる。ランキング1位から10位までは「赤地に白文字のナンバープレートカラー」、いわゆる「赤ゼッケン」である。11位以降は「各クラス指定されたナンバープレートカラー」。

昨年12月、MFJからゼッケン番号制度変更に関するリリースが出された。ライダー、チームはすぐに反応した。全日本ロードレースの選手会が中心となってアンケート調査を急遽実施。ARTの掲示板に各自の意見を掲載することになった。結果は79%が反対、21%が賛成(どちらでも無い、無回答、は反対を表明していないので賛成としてカウント)だった。ファンの間にも動揺が広がり、一時「#希望ゼッケン廃止に反対します」というハッシュタグをつけてSNSで話題となった。

ライダーの主な反対理由は以下の通り。

「ゼッケンナンバーにはチームやライダーの想いが詰まっている」
「パーソナルゼッケンはライダーやチームにゆかりのあるナンバーを記していて“顔”である」
「パーソナルナンバーを敢えて使ったファン誘致、ビジネス化が世界で当たり前になっている」
「ゼッケンがチームやライダーがセルフプロモーションできる場所」
「既存のファンにとってわかりにくくなる」

パーソナルナンバーの先駆けは、バリー・シーンだとされている。1976年、1977年と500ccタイトルを獲得して “1”をつける権利を得たが、ゼッケン「7」をつけた。

パーソナルナンバーは今やアイコンとなっている。46=バレンティーノ・ロッシ、93=マルク・マルケス、34=ケビン・シュワンツなど。。全日本ロードレースでも、加賀山就臣=「71」、中須賀克行=「21」、関口太郎=「44」、柳川明=「87」などゼッケン番号ですぐにライダーの顔が思い浮かぶほどゼッケンとライダーの関係は親密だ。

MFJは希望ゼッケン制度廃止の理由を「オートバイのレースを知らない新規ファン獲得の一助に、スポーツとして、誰が速いライダーなのかをわかりやすく訴求し、主役であるライダーにスポットが当たるように、メディアとWEB放送を中心にSNS連携を含めて発信強化を図る」としている。今回の意図を聞いてみた。

MFJは現状の全日本ロードレースに非常に強い危機感を覚えている。打開策のひとつが既存ファンに“新規ファン”を加えた観客動員数の増員。

興味を持ってくれる人を増やすために何をすれば良いのか。「シンプルにわかりやすく」が必要と考えた。勉強しなくてはわからないこととは極力無くす。

野球、サッカー、ラグビーのファンは全員専門書を読む人たちか、と問えば違う。にわかファンが多くいる。バイクレースでも「にわかバイクレースファン」を作らなければこの業界は衰退の一途を辿る、と言う。

にわかラグビーファンの中で、東芝府中の選手のことを知らない人は多いだろう。「日本代表チーム」だから覚えるし応援する。そしてファンのほとんどは「選手と言う個人」を応援する。その時に必要な要素は「名前」「顔」「スキル」。ラグビーでは日本代表チームに特化した番組を長い期間放映し、顔・名前・スキルを明らかにしたことでファンが増えた。

「スキル」を現すひとつの手段として前年度ランキングのゼッケン制度を取り入れた。番号の若いライダーは前年度ランキング上位=速いライダー、とわかりやすくする。ゼッケンの若い人たちの先頭集団に大きいゼッケンのライダーが混じっていたら「誰だ?このライダーは?」と興味を引く。そこからライダーへの興味関心が始まっても良い。

F1、MotoGPは放映でライダーの顔を十分すぎるくらい放映している。さらにマルク・マルケスやバレンティーノ・ロッシなどMotoGPライダーのSNSは走行シーンの写真より自分の顔を前面に出している投稿が多い。つまり顔を売っている。全日本ロードレースはライダーの顔が写る時間は少ない。名前と顔の認識ができない、スキルレベルもわからない、では新しい人には伝わらない。

今年から「Grooview」というサーキット場内映像配信アプリを始めた。マルチチャンネルで場内実況放送、タイミングモニター、ピットポート、などを配信する。ライダーインタビューやピットレポートなどでライダーを多く露出させて顔と名前を一致させる施策を導入している。

以上がMFJに取材した際に聞いた内容である。鈴木哲夫MFJ会長は言わずとしれた元・株式会社ホンダ・レーシング(HRC)の社長で歯に衣着せない語りは多くの人の心を掴んでいる。

MFJは各ステークホルダーが集まった合議制の場所・事務局。レギュレーション発行責任があるのでゼッケン制度について発表をしたが、MFJ単独で決めたわけではない。バイク4メーカー、公認サーキット、各地区のロードレース委員会、外部の学識経験者から成る会議で多数決により決定した。但、事前にエントラントへの通達なしに発表したことに対しては「進め方に配慮が足りなかったのは事実」と認めている。

日本ロードレースの現状に危機感を覚え、そのために改革を行う。この考えに異論を唱えるチーム・ライダー・ファンはいないだろう。但、MFJの考えの真意がエントラントやライダーにキチンと伝わっていないのではないか、と思う。紙切れ1枚の発表ではなく、もっとお互いにコミュニケーションを取ること誤解を生まないことに繋がるのではないだろうか。

賛否両論ある希望ゼッケン廃止だが今シーズンはこれでスタートした。既存ファンからすると不満を抱くかもしれない。だが新しく観に来た方がレースファンになってくれることを期待したい。

※鈴木会長から「ぜひお客さんの意見も聞いて下さい」と言われたのだが、開幕戦、第2戦鈴鹿、共に観客席における取材禁止であったためお客様の声を聞くことはできなかった。

そこでRacing Heroesをご覧のみなさまに「ゼッケン制度」についてご意見がありましたらお伺いしたいと思います。ご意見のある方は「info@racingheroes.jp」までお寄せ下さい。

photo & text : Toshiyuki KOMAI

 

中須賀克行、野左根航汰へのエール

中須賀克行、野左根航汰へのエール

2020年、圧倒的な速さに強さを纏ってシリーズチャンピオンを獲得した野左根航汰。今シーズンはワールドスーパーバイク選手権(WSBK)にフル参戦する。
「全日本ロードレースでチャンピオンを獲得して世界へ」全日本を走るライダーなら誰もが目指す道を野左根は体現した。

野左根の世界への挑戦を自分のことのように喜ぶオトコがいる。中須賀克行、野左根のチームメイトであり、ずっと目標にしてきた絶対王者だ。

2017年に野左根がファクトリーチームに加入してからずっとその成長を見守ってきた。中須賀は懇切丁寧に教えるタイプではない。かといって自分のやり方を隠すこともしない。闘い方、トレーニング、レースに対する考え方、とりわけ“勝利のへの執着心”、それら全てを包み隠さず全てをさらけ出してきた。「盗める物はドンドン盗め」というタイプだ。
「俺を越えていけ。でなければその先は無いぞ」常に語りかけてきた言葉。

その中須賀に野左根のWSBK挑戦について聞いてみた。

「自分を目標にしてきてくれたなら嬉しい。常に上を目指して、自分で努力した結果、速くなったし強くなった。自分を土台にして越えていく、そして世界への挑戦のチャンスを掴んだことが嬉しい。チャンスが巡ってきたときにそのポジションにいたことは航汰自身のチカラだと思う。この挑戦を糧に活躍して欲しい。」
と満面の笑みである。

後輩が世界に行くことは悔しくないのだろうか?

「もちろんひとりのライダーとしては(野左根は)ライバルだし、悔しい。自分はWSBKへの挑戦のチャンスが巡って来なかった。だけどずっと国内でトップを張ってこられた。もしも途中で世界へ行っていたらこの記録は生まれなかった。自分の置かれた環境の中で努力した結果が今の自分だと思っているので誇りに思っている。」

中須賀らしい言葉だ。絶対王者としての誇り。しかしそのためにどれだけの努力をしてきたか。今いるポジショニングよりもその過程に誇りを持っている。

2020年、滅多に褒めない中須賀が野左根の強さを認めた。中須賀を脅かすほどの強さを備えた野左根。そこには中須賀の存在が多分に影響していると思う。

「バイクに対する考え方、レースへの向き合い方、勝つためにナニが必要なのか、を考える姿勢が前向きになったと感じる。自分はそうやって今のポジションを勝ち取ってきた。航汰が考えた方法で努力してきたからこそ今の速さがあると思う。自分と一緒の時間を過ごした結果のカタチとして今の航汰がいるなら嬉しい。」

最後に野左根に贈る言葉を聞いてみた。

「常にチャレンジャーとしてプッシュし続けて活躍して欲しい。可能性は無限大。WSBKからMotoGPへ行くのもありだし、WSBKでチャンピオンを獲るのもあり。
国内から世界へ出る事例が少ない中、久しぶりに明るい話題だと思う。航汰自身が世界への道を模索している中で掴んだチャンス。漠然と行きたいなぁ、、だけで掴めるものではない。それだけ航汰が努力したという証。強くなった航汰を気持ち良く送り出したい。」

「中須賀さんを越えなければ世界には行かない」と決めていた野左根。自らが課した厳しい課題を克服してWSBKに挑戦する野左根。容易く通用する世界ではないが自信を持って暴れて欲しい。

photo & text : Toshiyuki KOMAI

野左根航汰直筆サイン入りキャッププレゼント!

野左根航汰直筆サイン入りキャッププレゼント!

2020年、圧倒的な強さと速さを身につけてJSB1000クラスシリーズチャンピオンを獲得した野左根航汰の直筆サイン入りキャップを2名の方にプレゼントします。

応募方法は、Racing Heroes「info@racingheroes.jp」宛にメールを送って下さい。ご応募の際は本名ではなくハンドルネームやペンネームの匿名でも構いません。抽選で当選した方2名に事務局から当選通知メールを送ります。そのメールに賞品の送付先を記入して返信して下さい。

応募先
info@racingheroes.jp

応募締切
2021年2月5日(金)23:59

当選発表
賞品の発送をもってかえさせていただきます。

※個人情報取り扱いについて
Racing Heroesでは、お預かりした個人情報について、以下のとおり適正かつ安全に管理・運用することに努めます。
1.利用目的
今回のチャンピオンキャッププレゼントで収集した個人情報について、以下の目的のために利用いたします。
①賞品発送のため
2.第三者提供
当社は、以下の場合を除いて、個人データを第三者へ提供することはしません。
①法令に基づく場合
②人の生命・身体・財産を保護するために必要で、本人から同意を得ることが難しい場合
③公衆衛生の向上・児童の健全な育成のために必要で、本人から同意を得ることが難しい場合
④国の機関や地方公共団体、その委託者などによる法令事務の遂行にあたって協力する必要があり、かつ本人の同意を得ることで事務遂行に影響が生じる可能性がある場合

Snapshot⑭-秋吉耕佑、2011年全日本ロードレース2連覇達成!-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

2011年全日本ロードレース最終戦鈴鹿。秋吉耕佑は2連勝を飾り、2年連続のJSB1000クラスチャンピオンを獲得した。しかもこの年は8戦中6勝、残り2戦は2位、つまり表彰台率100%の圧倒的強さを魅せて王者獲得である。

開幕戦鈴鹿、路面温度は46度まで上昇。独走していた秋吉だが、路面温度上昇によりタイヤがタレてくる。途中からタイヤ温存に切り替える。終盤、中須賀が迫ってくるとラスト3周でスパート。そのまま秋吉がトップチェッカー。

第4戦SUGO。金・土ウェットで決勝日は快晴。ドライセットが決まらない状態でレース。スタートダッシュを決めて逃げにかかる常套パターンかと思いきや、終盤に高橋巧が追いついてくる。テール・トゥ・ノーズのバトルは最終ラップまで続き、最後のシケインでバックマーカーが両者の間に入り秋吉が優勝。これで開幕4連勝を飾った。ゴール後、高橋の成長を称えるかのように秋吉から高橋に握手を求めた。

ランキングトップで迎えた最終戦鈴鹿。レース1。直前の雨でスタートディレイ。オープニングラップのヘアピンで加賀山をかわしてトップに立つと後続を引き離してそのまま独走でトップチェッカー。高橋巧が5位に沈んだのでレース1でチャンピオンを決めた。

レース2。オープニングラップの2輪シケイン立ち上がり、スプーン進入の200Rで加賀山をかわしてトップに立つと、レース1同様後続を引き離してひとり旅でダブルウィン。圧倒的速さで2年連続のチャンピオンを決めた。

秋吉の走りは鋭い。豪快にリアタイヤをスライドさせたブレーキングの突っ込み。くるっと向きを変えると圧倒的な立ち上がり加速で消えていく。また、雨の秋吉は手が付けられないほど速い。最終戦鈴鹿のレース2では、他のライダーが2分19秒後半から20秒台のラップなのに秋吉だけ2分18秒253のファステストラップ。2位以下に15秒以上の大差を付けて優勝している。

秋吉は『宇宙人』のニックネームで呼ばれている。「ここで抜く?!」というところでパッシングする、他人には理解が難しいコメントをする、などが理由だそうだ。本人は「なんで宇宙人なのかわからないのですが。。(笑)」と意に介さない。随分と昔、まだスマホが出てくる前の時代、フィリップアイランドのMotoGPテストで食事を一緒にする機会があった。そこで何故か携帯の話題となり『携帯を買ったら取扱説明書は最初から最後まで全ページ読み込みます。だって使っていない機能があったら勿体ないじゃないですか』。一同唖然。あの分厚い説明書を最初から最後まで?

でもわかるような気がする。秋吉はデータロガーの画面を観ながらメカニックと長時間打合せをする。データをみればどんな動きをしているのかわかる。しかしメカニックはコース上でのマシンの挙動がわからない。だから共有して自分の望む方向性にするにはどうしたら良いのか、を納得がいくまで話し合う。アタマの中で理解できる理論性とカラダで体現できる優れた直感力、相反する二つの高い能力を兼ね備えているのが秋吉耕佑だろう。今シーズンは自らのチームを立ち上げて臨む。どんな走りをするのかとても楽しみである。

photo & text : Toshiyuki KOMAI

Snapshot⑬-2014年アジアロードオートポリス:玉田誠優勝!-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

2014年アジアロードレース第3戦オートポリス、巧みなレース戦略を取った玉田誠が優勝した。全身で喜びを表す玉田。

2013年からアジアロードレース選手権にフル参戦を開始。第3戦インド大会でいきなりダブルウィン!しかし鈴鹿8耐の予選で転倒、左鎖骨、左肩甲骨、左脚関節(足首)を骨折、左手中指の切断の大怪我を負ってしまう。初年度はランキング8位で終える。

2014シーズンの日本ラウンド。オートポリスは特有の雨と霧に包まれる。フリー走行はウェット、予選で初めてドライとなる。玉田は世界選手権で戦っていたのでドライでのオートポリス走行経験が少ない。初のドライに戸惑いながらも予選5位を獲得する。

決勝日の朝フリーはウェット。しかし決勝レース1はドライ。ドライへのアジャストが上手く決まらず10位フィニッシュ。

迎えたレース2。レース1からセットを変えて臨む。序盤は小山知良、藤原克昭に続く3番手で走行。晴天で路面温度が上がり、タイヤマネジメントに苦慮すると判断した玉田はタイヤを温存のために後方から様子を伺う。トップ2台が先頭争いを繰り広げる隙を突き一気にトップへ浮上。そのまま優勝を飾る。

2015年からはアジアのライダー育成のためにコーチに就任、2017年からは監督に就任する。2018年からは「Honda Asia-Dream Racing」の監督としてアジアロード、全日本ロード、鈴鹿8耐、と多忙な日々を送っている。

玉田の指導方法は厳しい。世界で闘ってきた玉田の目からするとライダーやチームスタッフに甘さを感じるとのこと。逆に玉田が褒める時は本当に良くやったときだ。レースはもちろんだが生活態度でも律する。挨拶に始まり、感謝、謝罪、人としての礼儀を教え込む。全員アジア人のチームをまとめるのは並々ならぬ苦労があるはずだが、あの屈託の無い笑顔で「全然へっちゃらです!」と言う。チームが礼儀正しく気持ち良いのは玉田の教えがあったからこそだろう。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

Snapshot⑫-素肌にレーシングスーツ:藤原克昭-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

褐色の肌と鋼のボディ、その肉体に直接レーシングスーツを羽織る。藤原克昭のトレードマークだ。

そのいでたちでパドックにいるものだからいつも目立つ。そして藤原の周りには常に人が集まる。レース関係者はもちろん、プレス、ファンの人たち、友だち。。藤原は“人”を大切にする。人との繋がりを大事にする。信頼関係があって初めてレースが成立する。だからチームメイトを、チームスタッフを信頼し大切にする。

藤原ほどのエンターティナーはいないだろう。日の丸をマントに表彰台に立つ。コースサイドにカメラマンを見つけるとピースサインを送る。スターティンググリッドでハンドルバーに足をかける、などとにかく派手だ(笑)。

「俺って天才!」「次のレースも勝っちゃうよ!」は藤原の常套句。しかし、結果を出さなければ単なる大口叩きである。だから勝つために人一倍の努力をする。徹底的に自らを追い込む。でもそんな努力をしているところを他人には見せない。一見するとちゃらんぽらんのようだが実は速い。ファンサービスも、レースも、全てにおいてプロフェッショナル。それが藤原の美学。

藤原は現在Kawasaki Motors Enterprises (Thailand) Co., Ltd.のマーケティン部長として『Kawasaki』ブランドに対する共感や信頼醸成を通じて顧客にとっての価値を高めていくブランディングを担当している。もちろん『Kawasaki Thailand Racing team』の責任者としてレース活動も行う。マーケティング業務はもちろん会社員も初めて。コロナ禍の中タイで経済について、マーケティングについて黙々と勉強している。『人が驚くようなこと、喜ぶようなことを仕掛けたい』と言う。レースで培った分析による緻密な戦略立案、とっさの判断力、そして派手なパフォーマンス。それらは今後の藤原の業務に大いに役立つはずである。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

 

Snapshot⑪-2017年鈴鹿8耐合同テスト:佇む水野涼-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

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2017年鈴鹿8耐合同テストの夕方、水野涼が佇んでいた。ハルクプロに所属するがこの年は桜井ホンダから参戦した。2015年にJ-GP3クラスチャンピオンを獲得。翌2016年にJ-GP2クラスへステップアップ。2017年もJ-GP2参戦、開幕3連勝と絶好調。しかし走行時間が少ない。自分の走行時間を増やすことと経験の為に鈴鹿8耐に参戦した。1,000ccでも行ける、と自信を持って挑んだがトップとの実力差と自分の非力さに苛立ちと悔しい気持ちだけが残ったテストだった。それでも決勝レースでは10位入賞を果たす。

鈴鹿8耐で貴重な経験を積んだ2017年は圧倒的な強さでJ-GP2クラスのチャンピオンを獲得。翌2018年に最高峰クラスへステップアップ。再び鈴鹿8耐にハルクプロから参戦する。ランディ・ドゥ・プニエ、ドミニク・エガーターがチームメイト。まだJSB1000マシンを乗りこなすまでには至らずタイムではこの二人に追いつけない。決勝レースではハーフウェットの中で転倒、左手首骨折のケガを負ってリタイアとなってしまう。

2019年、水野は飛躍的に伸びた。納得のいかない2018シーズン終了後、1,000ccマシンを操れるだけの体力をつけるべく肉体改造に乗り出す。考え方も変えた。『速く走らなくては、との思いから最初から最後まで100%全力で臨むと力んでしまい終盤に腕上がりを起こすことも多かった』。だから『緩急をつけた走り。80%〜90%の力で100%の力と同じタイムを出す事を考えながら走る』ことにした。もちろんすぐに効果が現れるわけではない。2019年前半戦終了辺りから効果が出だす。

鈴鹿8耐からワークスマシンを貸与された。これを機に歯車が回り出す。鈴鹿8耐は不運なペナルティで最後尾スタート。だが初めて3スティントを走行し、7位でフィニッシュ。

後半戦のもてぎで2位、初表彰台を獲得する。しかも、中須賀克行、高橋巧といった王者を前に真っ向勝負の先頭争いを演じる。続く岡山でも2位。しかし『絶対に負けたくない』野左根航汰の後塵を拝し悔しさを滲ます。最終戦鈴鹿でも3位表彰台。2019シーズンはランキング4位に躍進した。野左根航汰と言うライバルの存在とエースライダーという自覚が水野を覚醒させた。(参照:「苦しみ抜いた末に見出した活路。今年の水野涼は速い」)

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

Snapshot⑩-加賀山就臣:涙のTeam KAGAYAMA初優勝2012年SUGOラウンド-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

2012年全日本ロードレース第6戦SUGO。ゴール後に涙する加賀山就臣がいた。

日本人として初めてBSB(ブリティッシュスーパーバイク選手権)にフル参戦、2005年からはWSBK(ワールドスーパーバイク選手権)とずっと世界の舞台で闘っていた加賀山が「日本への恩返し、全日本を盛り上げたい」と自らのチーム『Team KAGAYAMA』を立ち上げたのが前年の2011年。初年度はランキング4位。

2012 年、体制をガラリと変えた。一番大きな変革はダンロップタイヤにスイッチしたことだろう。BSBではダンロップを履いていた加賀山。ヨシムラから参戦した鈴鹿8耐ではブリヂストンを履いていたが元々ダンロップとの付き合いが長い。しかし全日本ロードレースではブリヂストンが2010年、11年とチャンピオンを獲得しており、2012年も上位10チームのほとんどがブリヂストンであった。

そんな逆境の中で加賀山はダンロップのタイヤ開発を担いながら闘う。予選ではコースレコード(中須賀克行)からコンマ3秒差の2番グリッドを獲得する。決勝レース。タイヤ温存の戦略を取りながらも先行するブリヂストン勢をいつでも追撃できる位置で走行、これが功を奏する。レース中盤、タイヤがキツくなってきたトップ勢に対し加賀山はペースアップ。終盤の中須賀との一騎打ちを制してTeam KAGAYAMAとしてJSB1000クラス初優勝を飾る。この勝利でシリーズランキングも2番手に浮上した。

常にチーム、スタッフ、スポンサー、そして全日本ロードレースのことを考えている加賀山。みんながアッと驚くサプライズを数多く仕掛けてきた。加賀山の懐の深さと優しい人柄は多くの人を魅了する。

今年、Team KAGAYAMAは大きな変革を行った。タイヤをブリヂストンにスイッチしたのだ。長年ダンロップタイヤに慣れてきた加賀山がどうやってブリヂストンタイヤを履きこなすか、そこも注目の一つである。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI