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Snapshot⑨-2010年:鈴鹿300km、青木宣篤/酒井大作優勝!-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

2010年鈴鹿300km耐久レースでヨシムラの青木宣篤/酒井大作組が優勝した。現在は開催されていないが鈴鹿300kmレースは鈴鹿8耐の前哨戦として重要な位置を占めていた。

2009年、ヨシムラは青木宣篤/酒井大作/徳留和樹のチームで鈴鹿8耐優勝を果たしている。その中で青木は存在感を放った。同年の鈴鹿300kmレースで3位表彰台に立った酒井/徳留ペアは鈴鹿8耐に向けてマシンを詰めていくのだが思うように進まない。MotoGPテストで忙しい青木が合流したのは7月。酒井・徳留の意見の違いを集約、お互いのマッチングポイントを見つけてセットアップに臨むと両者が乗りやすいマシンに改善されていった。その甲斐もあって見事鈴鹿8耐優勝を飾る。

2010年、ヨシムラは世界に闘いの場を定め全日本ロードレースを休止。鈴鹿8耐に向けて重要なレースである鈴鹿300kmに臨む。このレースは天候に翻弄された。降雨でスタートディレイ、レインタイヤでスタートしたものの天候が回復してレインタイヤでは厳しくなる。スタートライダーの酒井は11周目にドライタイヤへチェンジ。ファステストラップの猛チャージで2番手まで順位を上げる。しかしここで再び雨。足元をすくわれるライダーが出現する中、酒井はドライタイヤで走り切る。

ライダーチェンジ。アドバイザーの辻本聡さんは青木に「ドライタイヤで行く」と告げていた。最終的にはコースの状況を一番知っている酒井の判断に委ねることに。酒井は「ドライタイヤ」と答えた。ハーフウェットの中、青木はドライタイヤで出ていく。コースインした青木「大作――!どこがドライタイヤで行ける、だ!」と恨み節を言ったそうである。

しかし路面は徐々に乾いて行き青木はトップを走る。と、ここで再び雨。上位陣が再びウェットタイヤに交換する中、青木はドライタイヤで走り続ける。その判断が功を奏する。再び雨は上がり路面は乾いて行く。そのまま青木がトップチェッカー!めまぐるしく変わる天候のなか、チーム、辻本さんの的確な判断と青木・酒井の巧みな走りで優勝を勝ち取った。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

Snapshot⑧-わずか1ポイントに泣いた2014年シーズン:伊藤勇樹-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

2014年アジアロード選手権SS600クラスチャンピオン:Md Zaqhwan Zaidi(ザクワン・ザイディ)170ポイント。第2位:伊藤勇樹169ポイント。その差はたったの1ポイント。

2011年からアジアロード選手権に参戦を開始した伊藤。2012年はシリーズランキング5位。翌2013年は同4位。2014シーズンは開幕戦でいきなり2位、初表彰台を獲得。幸先の良いスタートを切った。迎えた日本ラウンド連戦。オートポリスでは予選14番手に沈んだがレース1で2位表彰台を獲得。藤原克昭(優勝)、小山知良(3位)と日本人が表彰台を独占した。

連戦開催の鈴鹿。ここでポールポジションを獲得する。コンマ4秒の中に7台がひしめく超接近戦。レース1は5位。そしてレース2、混戦を制してアジアロード選手権初優勝を飾る。日本ラウンド終了時にランキング2位につけた。この初優勝で勢いに乗った伊藤は次戦タイ:ブリーラムで2連勝!鈴鹿から3連勝を飾りザクワン・ザイディに対して25ポイントのアドバンテージを築いていた。

最終戦カタール。予選2位の伊藤はレース1で7位と失速。それでもレース1終了時では4ポイント上回っていた。そして迎えたレース2。4ポイント差でゴールすればチャンピオン決定。しかし優勝はザクワン、伊藤は2位。優勝と2位のポイント差は5。僅か1ポイントの差に無念の涙を飲んだ。

2020 年、伊藤はアジアロード選手権:ASB1000クラスに参戦。開幕戦マレーシアで優勝を飾る。私生活でも全日本ロードレースで活躍した白石玲菜さんと結婚。公私共に好調なスタートを切った矢先のコロナ禍。今は我慢だが再開したら伊藤の活躍に期待したい。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

 

snapshot⑦-高橋巧:2010年史上最年少鈴鹿8耐優勝-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

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2010年、鈴鹿8耐に新たな記録が生まれた。20歳の高橋巧が最年少優勝を果たした。(1996年芳賀紀行選手の21歳を上回った)2008年にはハルクプロから鈴鹿8耐に初参戦して3位表彰台を獲得。ここで最年少初表彰台記録も樹立していた。2009年にJSB1000クラスへステップアップ。2010年からハルクプロに所属。開幕戦筑波で優勝、続く鈴鹿も2位と好調のスタートを切る。

ランキングトップで臨んだ鈴鹿8耐。ペアを組んだのが清成龍一と中上貴晶。この勢いに乗じて優勝を狙う高橋。中上は決勝レースを走ることなく高橋と清成の2名で8時間を走った。この年は路面温度が65℃超にもなる酷暑。優勝がかかったプレッシャーと酷暑が高橋の体力を奪うが懸命の走りで優勝を果たす。

清成とは2012年にもペアを組んで走るが残念ながら41位。しかし高橋はこの2回の鈴鹿8耐で清成の執拗なまでに勝利にこだわる姿勢に傾倒、2019年の鈴鹿8耐は清成と優勝したかったと悔しがる。(参照:「清成さんのためにも、自分のためにも勝ちたかった」男気を魅せた高橋巧の鈴鹿8耐

今シーズン、念願であった世界の舞台へ闘いの場を移す。WSBK(ワールドスーパーバイク選手権)にフル参戦となったが開幕戦オーストラリアはマシントラブルからまともに走れず。次戦以降に望みを繋ぎたいところだったがコロナウィルスの影響で未だに開催されず。世界で闘う高橋の勇姿を魅せて欲しい。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

snapshot⑥-アジアロードレース:日本ラウンドで魅せた藤原克昭-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

バイクのハンドルの上に足を乗せて不敵に構える。この大胆なポーズが藤原克昭たる所以だ。「俺って天才!」ファンを喜ばすために嘯く。しかしそこには必ず結果を出すと言う覚悟が潜む。人一倍の努力を惜しまず自らを徹底的に追い込む。その姿は誰にも見せない。それが藤原克昭という男。

2012年、アジアロード選手権チャンピオン連覇がかかった最終戦。しかし自分たちではどうしようもない不可抗力の理由でチャンピオンを逃した。一番悔しいのは藤原自身のはずなのに一切の言い訳をせず「一秒前は過去のこと。我々は2013年に向かって歩き出す」とコメントした。(参照:『1秒前のことは過去のこと。我々は次に向けて動き出す』 藤原克昭選手の勝利への執着心

2013年、鈴鹿で3位&2位表彰台獲得。翌週のオートポリスでポールポジションからの2連勝を挙げ、その速さを見せつけた。

迎えた2014年、何としてもチャンピオンを獲るべくして臨んだ日本ラウンド。オートポリスでは前年に続きポール・トゥ・ウイン。鈴鹿でも1勝を挙げて計4レース中2勝を飾る。この時点でランキングトップに躍り出た。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

 

 

snapshot⑤- 2012年J-GP2クラス 関口太郎 初優勝-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

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2012年全日本ロードレース第5戦もてぎ。関口太郎がJ-GP2クラス初優勝を飾った。しかもコースレコード更新するポールポジション獲得からのポール・トゥ・ウィン。ゴール後、いつも関口を陰から支えている奥さまに駆け寄り涙のハグ。2010年からスタートしたJ-GP2クラスに翌2011年から参戦、初年度ランキング2位を獲得。2012年シーズン、このもてぎの優勝でランキングトップに躍り出た。いつもニコニコ屈託の無い笑顔でパドックの人気者。関口の周りには常に人が集まる。これも関口の人柄。しかしその優しい人柄からは窺い知れないアグレッシブな走りもファンを熱くさせる魅力のひとつである。

photo & text : Toshiyuki KOMAI

snapshot④- 素肌にレーシングスーツ:加賀山就臣-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

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加賀山就臣、言わずと知れた日本を代表するライダーである。世界で鍛えられた力強いその走りはファンを魅了する。また『野性獣』の異名を持つワイルドさも魅力のひとつである。写真は2010年の鈴鹿8耐でのひとコマ。素肌にレーシングスーツ。インナースーツを着用するライダーがほとんどであるが、素肌に直接と言うのは加賀山と藤原克昭くらいではないだろうか。(MotoGPのランディ・ドゥ・プニエも素肌にレーシングスーツだった)

2007年ヨシムラから鈴鹿8耐に参戦して優勝。2008年ゲリラ豪雨の鈴鹿8耐、1分30秒以上空いていたカルロス・チェカとの差を信じられないラップタイムで猛追、抜き去った直後の第1コーナーで足元をすくわれて転倒。すぐにコース復帰してピットイン。ヘルメットも脱がずに修理が終わるまでずっとマシンのそばに居た。加賀山の走りに胸を熱くするファンは多い。

photo & text : Toshiyuki KOMAI

snapshot③- 2008年酒井大作 初優勝-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

2008年全日本ロードレース岡山は最終戦として2レース開催。雨のレース2で酒井大作が涙の最高峰クラス初優勝を飾る。前戦の鈴鹿で負った肩胛骨骨折を押しての出場。レース1ではコースアウトからの9位。レース2。ハイペースでトップを走る秋吉耕佑にピタリとつくが骨折の痛みから徐々に離れる。伊藤真一にかわされて3位に後退するがここで秋吉、伊藤が転倒。伊藤に抜かれた後も食らいついていた酒井が築いたマージンでJSB1000クラス初優勝を飾った。ウィニングランから泣いていたと言う酒井。ゴール後はアドバイザー辻本聡氏の元へ駆け寄り初優勝を報告した。

photo & text : Toshiyuki KOMAI

snapshot②- 2012年全日本ロードレース第4戦オートポリス-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

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2012年全日本ロードレース第4戦オートポリス。ST600クラスとSuper Formulaの併催2&4レースだった。金曜日のフリー走行でピットアウトする渡辺一馬。当時四輪の車検場が最終コーナー側にあったためピットロードを逆走、走行中の二輪マシンと接触しそうになる危険なシーンもあった。

決勝レースでは4位&リタイアと残念な結果であったが翌年2013年にはシリーズチャンピオンを獲得。2015年から最高峰クラスJSB1000クラスで活躍をしている。今シーズンは古巣のホンダに戻り伊藤真一が監督を務める「Keihin Honda Dream SI Racing」から参戦。早くその走りをみたい。

 

 

photo & text : Toshiyuki KOMAI

snapshot①- 2011年全日本ロードレース第5戦SUGO-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

初回は2011年全日本ロードレース第5戦SUGO。2010年チャンピオン秋吉耕佑が逃げ、高橋巧が追う展開。序盤にかなり開いていた差が猛追により終盤にはテール・トゥ・ノーズの手に汗握る超接近戦。しかし僅差で秋吉が優勝。JSB1000クラスにステップアップして3年目、若手の高橋巧の成長を喜び、褒め称えるかのように秋吉がゴール後に高橋に握手を求めた瞬間。

photo & text : Toshiyuki  KOMAI

 

2019 MFJ MOTOAWARDS 開催

「2019 MFJ MOTO AWARD」が東京都大手町・日経ホールで開催され、全日本ロードレース、全日本モトクロス、全日本トライアル、全日本スノーモビル、全日本スーパーモト、全日本エンデューロ、各選手権シリーズの各カテゴリー上位3名が表彰された。

今年の6月、MFJ会長に就任した鈴木哲夫氏。元・株式会社ホンダ・レーシング(HRC)社長として高名な方だ。鈴木会長から今年度の報告と来年度の方針説明があった。

日本のモーターサイクルスポーツの歴史を後世に伝え、輝かしい実績のあった功労者及び選手を讃える「MFJモーターサイクルの殿堂」。第2回となる今年は、本田宗一郎氏と吉村秀雄氏を選出。本田宗一郎氏は1959年日本メーカーとして初めてFIM世界ロードレース選手権マン島TTレースに参戦、1966年には全クラス制覇の偉業を達成。日本のモーターサイクルスポーツを飛躍的に発展させた。村秀雄氏は日本のモーターサイクルスポーツ黎明期からエンジン開発を始めマシンのチューニングに取り組み日本のみならず海外のレースにも参戦。日本におけるレーシングコンストラクターの地位を確立し多くのコンストラクター・チューナを育成した。

顕彰式では本田氏の長女である尾形恵子様と吉村氏の妻である吉村直江様、長男の吉村不二雄様に記念のクリスタルトロフィーと花束が贈呈され、会場からは惜しみない拍手が送られた。

JP250クラス インター チャンピオン:笠井悠太、2位:谷本音虹郎、3位:岡野聖
JP250クラス ナショナル チャンピオン:松岡玲、2位:佐々木將旭、3位:片山千彩都

全日本ロードレースの表彰

J-GP3クラス チャンピオン:長谷川聖、2位:鈴木大空翔、3位:村瀬健琉

ST600クラス チャンピオン:小山知良、2位:南本宗一郎、3位:岡本裕生

J-GP2クラス チャンピオン:名越哲平、2位:榎戸育寛、3位:作本輝介

そして最高峰クラスJSB1000では

チャンピオン:中須賀克行、2位:高橋巧、3位:野左根航汰

ロードレース特別賞として

ルーキーオブザイヤー
J-GP3クラス:村瀬健琉
ST600クラス:荒川晃大
JSB1000クラス:岩戸亮介

ベストチーム
J-GP3クラス「CLUB Y’s」
ST600クラス「T.Pro.Innovation」
J-GP2クラス「Team HARC-PRO.」
JSB1000クラス「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」

が受賞した。

各クラスのチャンピオンに今年の振り返りと来季の抱負を聞いてみた。

2年連続、通算9回のチャンピオンを獲得したJSB1000クラス中須賀克行。今シーズンはホンダワークス:高橋巧が中須賀の前に立ちはだかる。開幕2連勝の後の第2戦鈴鹿でまさかの転倒ノーポイントレース。高橋は鈴鹿から4連勝で中須賀の連覇は難しいと言われた。しかし、後半戦で4連勝を含む5勝を挙げ、最終戦で大逆転でチャンピオンを決めた。

「ホンダが速いのは解っていたのでその上を行くためにセパンの事前テストから良かれと思ってやって来たことが、開幕戦もてぎでは上手く機能して勝つことができました。しかしかなりの接戦だったので厳しいシーズンになるだろうな、と覚悟はしました。第2戦鈴鹿ではホンダ+高橋巧選手のパッケージがべらぼうに速くて驚きました。自分たちがやって来たことを信じて走りましたが予選でも追いつけず、決勝レースでは引き離されまいとしてプッシュした結果転倒してしまいました。

サーキットによって合う・合わないが出ているのは、どこかのバランスが僅かに狂っているのではないか、見落としがあるのではないか、と懸命にマシンのセットアップを詰めていきました。マシン開発には鈴鹿8耐も使いながらマシン開発を進めましたが詰め切れず結果も2位でした。

後半戦の初戦もてぎで勝てて、岡山でもウェットレースで3位でしたがドライでの好感触を得て、バイクのポテンシャルと目指す方向性が間違っていないことを確認できました。オートポリスから新しいパーツが入ってきて上手く機能してコースレコードを更新して2勝を挙げることができました。

最終戦は、(高橋)巧選手、(野佐根)航汰選手、自分、みんなチャンピオンシップがかかっていました。各々がやるべきことをやった中でアクシデントがありましたが、その中で自分が勝てるポジションにいたことがチャンピオン獲得への流れを作るきっかけになったと思います。ですが走りは固くなってしまいました。
オートポリス以降自分は、勝つことしか残されていなかったので、鈴鹿も“やってやるぜ!”と意気込んでサーキット入りしましたが、レース1の途中から失ったものが再び手に入るかもしれない、と思ったら急に走りがガチガチに固くなってしまいました。チャンピオンと獲れば獲るほどその重みがわかってくるので余計に緊張して自分の走りができませんでした。

今年は厳しいシーズンでしたが、例年以上に接戦だったし、レベルも高かったので非常に内容の濃い1年だったと思います。」

今シーズン、高橋巧という強力なライバルの出現により中須賀と高橋の熾烈なバトルが各サーキットで繰り広げられた。「厳しいシーズンだったけど、どうやったら勝てるか、を考えながらマシンの開発、レースを闘えたのでそう言う意味では楽しかった」と中須賀らしいコメントを発した。

J-GP2クラス最後のチャンピオンとなった名越哲平。今シーズン開幕戦の優勝が認められ世界(Moto2)へスポット参戦を果たした。

「今年は全戦全勝を掲げてシーズン入りしました。チャンピオンを獲らなくてはと言うプレッシャーがありましたが獲れるだろうという自信もありました。

開幕戦はポールポジション獲得、自分の思い描いていたレース展開、ペースで走れて優勝という幸先の良いスタートが切れました。

サーキット毎にマシンが合うところ、合わないところが出てくるだろうという予想はしていました。そこを含めて全戦全勝を掲げていたのですが、SUGOと筑波のレース1、岡山を落としてしまい結果的に達成できなかったのは自分の技量がまだまだ足りない、という事だと思います。

今年は3回、世界への挑戦をさせていただきました。初めてのマシン、初めてのコース、海外の猛者たちを前にして納得のいく結果ではありませんでしたが、この時の経験がシーズン後半に活きてきたと思っています。

また、鈴鹿8耐も走る機会を与えていただき、二人で走ることとなりとても厳しかったですけど、あれだけたくさん走り込みましたので改めて鈴鹿というコースを理解することができたと思います。その結果が最終戦鈴鹿でコースレコードを更新することに繋がったのではないか、と思っています。

自分自身と向き合った結果、そして新しい経験からたくさんの発見があり、それがチャンピオンに繋がったのかな、そう言う意味ではすごく良いシーズンでした。」

ST600クラスのチャンピオンに輝いた小山知良。意外なことにチャンピオン獲得は2000年以来19年ぶりだと言う。今シーズンは7戦中4勝、特に後半戦岡山から鈴鹿までは3連勝を飾っている。

「毎年チャンピオン獲得を目指して闘ってきました。ケガやトラブルに泣かされた年もありましたがここまで来るのに19年かかりました。特に昨年はあれだけチャンピオンにこだわって闘ったのに獲れなかった。だったら今年は一戦一戦、勝ちにこだわり、レコードを更新し、圧倒的な速さで勝つことを目標にしました。

開幕戦はトラブルの不発に終わりましたがそこからチームと立て直しを図り、第2戦SUGOで優勝、岡山、オートポリス、鈴鹿と3連勝できました。毎戦、勝つことにこだわった結果がチャンピオンに繋がったと思います。今までは接戦で勝つことが多かったのですがオートポリスでは2位以下に5秒近いギャップを付けて勝てました。まだまだ自分自身成長していると感じています。

勝ちにこだわることは当然リスクも背負います。例え転倒したとしてもそれは攻めた結果だから仕方ない、キチンと原因を突き止めて次戦に活かしてさらに勝ちを狙う。そうやって勝ちを重ねていけば必然的にチャンピオンは付いてくると思います。

今年の岡山、急な雨で苦しいレース展開でしたが、そこで2位でもイイや、3位でもイイや、と思わず絶対に勝つと思って勝負に臨んだことが、結果的にその後のチャンピオンシップに影響を及ぼしました。

来年は2連覇を狙いたいですけど、軽々しく口に出して言えるほど簡単なものではないことは自分が一番良く知っています。

来年も今年同様に、自分自身が成長して、勝ちにこだわり、圧倒的な速さを見せつけて勝つレースをしていきたいと思います。」

一見リスクが高い闘い方だが、長年のレース経験で培ってきた技術、レースの組み立て方、展開の豊富な知見がある小山だからこそできるのだと思う。

激戦のJ-GP3クラスを制した:長谷川聖。シーズン3勝を挙げ最終戦を待たずにオートポリスでチャンピオンを決めた。

「昨年自分はランキング4位だったのですが、上位3人が他のクラスへ移行してしまい、自分が実質一番上に立ったのでチャンピオンは獲らなくてはならない、と言う気持ちでシーズンに入りました。今までとは全然違うモチベーションでした。

その意識の高さが開幕戦優勝という形で現れたと思います。その後も常に上位争いに絡んで2勝を挙げることができました。最終戦鈴鹿はトラブルで全然トップ争いに絡めませんでしたが、前戦のオートポリスでチャンピオンを決めていて良かったです。

今年はチャンピオンシップを考えて走りました。転倒したら獲れるものも獲れなくなってしまうので、順位が下がったとしても下がり幅を減らしていかに多くのポイントを取るか、を考えていました。J-GP3クラスは混戦で誰が勝ってもおかしくない状態で自分は常に上位でポイントを重ねて行けたのがチャンピオンに繋がったと思います。

2位以下に10秒以上の差をつけて全日本ロードレース初優勝できた開幕戦が今年最も印象に残っているレースです。

来年の体制はまだ決まっていませんが、できれば大きな排気量のクラスで走りたいと思っています。」

 

2020年シーズンもライダーたちが織りなす人間ドラマをぜひサーキットの現場で観て欲しいと思う。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

MFJ MOTO AWARDS 2018 開催

「MFJ MOTO AWARDS 2018」が東京都大手町・日経ホールで開催され、全日本ロードレース、全日本モトクロス、全日本トライアル、全日本スノーモビル、全日本スーパーモト、全日本エンデューロ、各選手権シリーズの各カテゴリー上位3名が表彰された。

日本のモーターサイクルスポーツに情熱をもって取り組みんできた方々の偉大な活躍や功績を讃えた「MFJモーターサイクルの殿堂」を今年度設立した。初代殿堂入りを果たしたのは、1961年世界ロードレース選手権西ドイツグランプリでセンターポールに日の丸を掲げた最初の日本人ライダー:高橋国光氏と、1963年マン島T.T.レースで日本人として最初に優勝した伊藤光夫氏。会場からは惜しみない拍手が送られた。

「モータースポーツが日本の文化として根付くこと」を目的に発足した自由民主党モータースポーツ振興議員連盟が評議して決定した今年の議員連盟会長杯は、前人未到の全日本モトクロス国際A級通算150勝を獲得し最終戦で逆転チャンピオンに輝いた成田亮に贈られた。

JP250インター:チャンピオン:笠井悠太、2位:村瀬健琉、3位:成田彬人

JP250ナショナル:チャンピオン:家根谷大晟、2位:西村硝、3位:横山尚太

全日本ロードレースの表彰

J-GP3クラス チャンピオン:中島元気、2位:岡谷雄太、3位:小室旭

ST600クラス チャンピオン:岡本裕生、2位:小山知良、3位:長尾健吾

J-GP2クラス チャンピオン:岩戸亮介、2位:関口太郎、3位:名越哲平

JSB1000クラス チャンピオン:中須賀克行、2位:高橋巧、3位:渡辺一馬

世界選手権で功績を残した日本人を称える「世界選手権功労賞」に、FIM世界耐久選手権に日本チームとして初めてチャンピオンを獲得した「F.C.C. TSR Honda France」藤井正和総監督、FIM世界トライアル選手権 TRIAL-E CUP 2位の黒山健一が受賞した。

ロードレース特別賞として

ルーキーオブザイヤー

J-GP3クラス:岡谷雄太
ST600クラス:佐野悠人
J-GP2クラス:名越哲平
JSB1000クラス:水野涼

ベストチーム

J-GP3クラス「Team SRS-Moto」
ST600クラス「51ガレージ チームイワキ」:宗和孝宏代表
J-GP2クラス「Team 髙武 RSC」:柳本眞吾代表
JSB1000クラス「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」:吉川和多留監督

が受賞した。

 

 

全日本ロードレース各クラスのチャンピオンに今年の振り返りと来季の抱負を聞いてみた。

11レース中(岡山は決勝レース中止)8勝と圧倒的な強さを見せつけてシリーズチャンピオンを奪回、通算8度目の獲得を達成した中須賀克行。

「今シーズン、点数をつけるとしたら90点かな、と思っています。マイナス10点は鈴鹿8耐を走れなかったことですね。自分が造ってきたマシンで優勝できたことは嬉しいですけどやっぱり走りたかったですね。10点は来年に取っておきます(笑)
自分にはまだまだ伸び代が残っていると思っていますし、100点は自分で言うのではなく周りから“アイツは100点だったよな”と言ってもらえるのが嬉しいですね」

「昨年、チャンピオンと獲れなかったのは、連続チャンピオン、レースに出れば勝つのが当たり前という自分自身に対する甘えがあったのだと思います。そこに隙ができたのかな、と。初めてチャンピオンを獲った年は常に“勝つためにバイクをどうすればいい?”“レースをどう闘う?”と自問自答してもがいていたことを思い出しました。いま一度初心に立ち返り、自分を追い込んでバイク・レースへの向き合い方、トレーニングの仕方を見つめ直した結果が今年の結果に繋がっていると思います。」

「来シーズンも当然チャンピオンを狙っていますし、参戦するレース一戦一戦に“勝ち”にこだわりたいです。そしてレベルの高い走りをファンのみなさまにご覧に入れられるように全力で頑張ります」

中須賀ほどの強さを持つライダーが自分をさらに追いつめた、とは意外であったがそこが“常に勝ちにこだわる”中須賀克行たる所以かもしれない。

2年目の今年、大きく成長したJ-GP2クラスチャンピオン:岩戸亮介。

「悪い印象ですけど開幕戦は忘れられません。作本選手は13番グリッド。自分は2番グリッドだったのにレース途中で作本選手にパスされて“えっ?なんで?”と。そこから手を出せなくなってしまいました。“自分で自分をぶん殴ってやりたい”とコメントしましたがレース直後は悔しさを通り越して茫然自失状態。一生忘れられない悔しさとなりました。チームメイトの作本選手に負けたことで自分に足りないものが明確になりました」

「単純に速さだけではなく、レース中に勝つための組み立てや、日頃からの取り組み方も含めて気持ちの持ちようが足りていなかった、と感じました。自分の中の不安材料を取り除くためにレースに対する向き合い方やトレーニングを改めて継続させた結果、気持ちの中に余裕ができてレース中にどんな状況になっても冷静に対処して前に出られるようになりました。結果が伴うことで “負ける気がしない”という自信が生まれるようになりました」

「来季の動向はまだ決まっていませんが自分の目標はずっとJSB1000クラスに上がり、ものすごく大きな壁である中須賀選手に挑戦することなので、そこを目指して頑張ります」

「自分は福岡県出身で熱くなると中須賀さんのような福岡弁でしゃべるんですよ」と気の優しそうな顔つきからは想像できないほど気が強い岩戸。来シーズン、JSB1000クラスにステップアップできることを祈りたい。

ST600クラスのチャンピオンに輝いた岡本裕生。

「シーズン前に立てた目標は、全戦優勝、コースレコード更新、チャンピオンの三つでした。そのうちひとつは獲得できましたがそれ以外は程遠い結果でした。全戦表彰台に登れましたが全戦優勝からは程遠い結果で、チャンピオンを獲れたことは嬉しく思いますが悔しい思いが強いです」

「SUGOではコースレコードまで1000分の何秒かまで迫り、後続を10秒以上引き離して勝てたことが嬉しかったです。1ポイント差で迎えた最終戦ですが、チャンピオン獲得のことは考えずレースに勝つことだけを考えていました。チャンピオン獲得は目標にしていましたが、獲って当たり前、獲らなくては目標にしている海外では通用しないと思っていました。しかし優勝で締めることができず悔しかったです」

「2年前、自分から宗和さんにお願いしてチームに入れてもらいました。宗和さんは厳しい中にも優しさを持って指導していただいています。初年度2勝を挙げて今年はチャンピオンを獲りに行くぞ、との目標を立て、自分の目標に向かって歩んでいけるための道筋を造ってもらいました。宗和さん、芳賀紀行さんの尽力でイタリア選手権にも2回参戦させてもらいスキルアップすることもできました。宗和さんには感謝の言葉しかありません。今年はチャンピオンという形でチームに恩返しができたかな、と思っています。来年もチームのため、そして自分のために走り、海外で走ると言う目標のために結果を残していきたいと思います」

宗和監督の指導の下、成長を続ける岡本の来季の活躍に期待したい。

激戦のJ-GP3クラスを制した:中島元気。

「自分は昨年全日本ロードレースデビューイヤーで、表彰台に登れることが嬉しかったですが、今シーズンは勝ちにこだわりました。もちろん表彰台の登るのは嬉しいですが勝てない2位、3位では悔しい思いがありました。特に前半戦、岡谷選手にあと一歩というところで連勝されてしまい”どうして勝てないのだろう?“と考えていました。昨年参戦したアジアタレントカップのライダーの闘争心、貪欲な勝ちへの執着心、それが足りなかったな、と思います。マシンに頼る走りではなく自分のレベルを上げて行く走りを意識した結果速さがついてきたかな、と思っています」

「オートポリスの優勝は本当に嬉しかったです。前半戦の悔しさを晴らせました。小室選手との最終ラップの最終コーナーのバトル、今までの自分だったら競り負けてはじき出されていたと思いますが、“勝ちたい”という闘争心のおかげで競り勝てたのだと思います」

「来年の体制はまだ決まっていませんが、今年チャンピオンを獲得して自分で成長できたかな、と感じられるので、来年はさらに成長して常に勝ちを狙って全力で闘いたいと思います」

 

2019年シーズンもライダーたちが織りなす人間ドラマをぜひサーキットの現場で観て欲しいと思う。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

Team KAGAYAMA「2018シーズンエンドパーティ」

Team KAGAYAMAの2018年を締めくくる「シーズンエンドパーティ」が神奈川県横浜市・マリンタワー4Fの「THE TOWER RESTAURANT YOKOHAMA」で開催された。

ベイブリッジや横浜公園を望むウッドデッキには鈴鹿8耐を走ったレーシングマシンとTaste of Tsukubaで優勝した片持ちスイングアームのTeam KAGAYAMAオリジナル“カタナ”が展示された。チーム関係者、スポンサー、そしてTeam KAGAYAMAをいつも応援している熱心なファンのみなさまなど100名を超える方々が集まる盛大な会となった。

今シーズン、Team KAGAYAMAは最高峰のJSB1000クラスに加賀山就臣、スペイン選手権に浦本修充が参戦した。

「Team KAGAYAMAを立ち上げて8年目を無事に終えることができたのはサポートいただいている企業さま、ファンのみなさまのおかげです。本当にありがとうございます。今年は全日本ロードレース以外に1980年代の空冷・鉄製フレームのバイクを改造して闘うTaste of Tsukubaというレースに参戦しました。スズキには“カタナ”という伝説のバイクがあるのでそれをTeam KAGAYAMAオリジナルマシンに仕上げて勝つことができました。また新しいことに挑戦して話題を作れたかな、と思っています」と加賀山就臣が挨拶。

続いて浦本修充を紹介「浦本は2016年にTeam KAGAYAMAに加入、その年にJ-GP2クラスでTeam KAGAYAMAにとって初めてのチャンピオンを獲得。非常に嬉しかった」と加賀山。浦本は「前半はどんなに頑張っても一ケタの順位が獲れませんでしたが、後半はトップ争いもできましたし、尻上がりに調子が上がっていったので自分としては成長できたかな、と思っています。」と挨拶。

Team KAGAYAMAを足元から支えている株式会社ダンロップモーターサイクルコーポレーション 販売促進部野口輝行様より乾杯のご発声。「加賀山さんとは1990年からの長いお付き合いです。自分の誇りは2006年加賀山さんが世界からスポット参戦で鈴鹿を走った時に優勝したことです。その年、ダンロップはまだ一勝もできていなくて加賀山さんが勝ってくれたおかげで士気が上がりました。会社の若いメンバーには“頑張って努力を続けていれば必ず結果として実るんだ”と教えています。そして今年、Taste of Tsukubaで2勝を挙げてもらいました。来年はアメリカで開発した“スポーツマックスQ4“を日本で発売しますので加賀山さんにも乗っていただきダンロップの良いところをみなさまにも味わっていただきたいと思います」と乾杯のご挨拶でシーズンエンドパーティがスタートした。

会場には鈴鹿8耐を一緒に闘った世界の芳賀紀行さんも駆けつけていた。「就臣とは小さい頃からずっと一緒にレースをやってきました。メーカー・チームが違えどずっと就臣のことを応援してきました。みなさんもずっとずっと就臣のことを応援してやってください」とエールを送った。

ファンをすごく大切にするTeam KAGAYAMAのメンバーは、お客様と積極的にお話をする。記念撮影に気軽に応え、多くのファンの方がライダーたちの周りに集まって写真を撮っていた。

ほぼ半数の人に当たるのではないかと思われるほどの景品が当たる抽選会は大盛り上がり!

そして横浜を拠点に活動するロックバンド「1-E(イチノイー)」の生演奏。地元が加賀山と同じ横浜の「I-E」はTeam KAGAYAMAをずっと応援しており、鈴鹿8耐のメインステージで演奏した。

楽しいパーティもあっという間に時間は経過し、最後は日本のバイクレース界のお母さんとしてみんなから親しまれている株式会社ヒョウドウプロダクツ兵頭多美江様から「これからも加賀山就臣とTeam KAGAYAMAをよろしくお願いします!」と中締めのご挨拶。

最後に全員で記念撮影。

来年度の活躍を誓い、Team KAGAYAMAの2018年レースシーズンは幕を閉じた。

来年の体制発表はなかったが加賀山就臣のことだ、みんながまた驚くような話題を提供してくれるに違いない。来年もTeam KAGAYAMAの活動からは目が離せない。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI