全日本ロードレース第3戦ツインリンクもてぎ。J-GP3クラスの接戦を制した水野涼選手(MuSASHi RTハルク・プロ)は記者会見でそう語った。前戦オートポリスでは予選11番手、決勝レース6位、とても納得のいく結果ではなかった。
水野選手はシーズン前の3月にケガを負ってしまった。少しでも多く走って練習しようと筑波サーキットのスポーツ走行でハイサイド、宙に浮いたあと左側面から路面にたたきつけられた。
両手骨折、左膝骨挫傷
両手の甲の骨折、あばら骨骨折、左肩亜脱臼、左膝の骨挫傷…かなりの大ケがであった。それから約1ヶ月後のオートポリス。水野選手にとって金曜日のA.R.T合同走行が今シーズンの初ライドとなる。日常生活では痛くないとは言え、まだ手の甲は折れたままだったそうである。チームメイトの浦本修充選手から痛み止め薬をもらい、アイシングで麻痺させて走ったフリー走行と予選。結果はまさかの予選11番手。トップから2秒落ち。
迎えた決勝レース。前に出ようと思ったが集団に飲み込まれてしまい、先頭集団から離される。それでも徐々にペースを上げて追撃する水野選手は予選を上回るタイムで3位集団に追いつき、集団のトップに躍り出る。「追いかけている時は0.5秒以上アベレージで速かったので、前に出てどの程度離せるか試してみようと思って前に出た。(しかし翌周に抜き返されたので)これは離せない、と自分の中で決めつけてしまった」と水野選手。その時点でタイヤを温存させ、3位争いに照準を合わせて闘ったものの結果は6位。
去年から変わらないならハルク・プロにいる意味は無い
レース後、チームから「昨年から変わらなかったらハルク・プロにいる意味は無い。例えタイヤが無くなったとしても前に出て突き離せるくらいにならないと去年と同じ(ランキング2位)結果になるぞ」と手厳しい言葉をもらう。
16歳の少年、しかも両手を骨折している水野選手に対して厳しすぎないか、と思うのだがそこがトップチームたる所以だろうか、勝つために何が必要なのかを徹底的に教え込む姿勢が窺われる。
予選5番手からの逆転勝利
約一ヶ月のインターバルをおいて開催されたもてぎラウンド。水野選手のケガは快方に向かっていったが完治はしていなかった。金曜日A.R.T合同走行では3番手タイムを刻む。しかし、翌日の予選でこれからタイムアタックという場面でハイサイド転倒、予選5番手に沈んでしまう。
迎えた決勝レース。水野選手は2周目に一気に2番手に浮上、トップを行く國峰選手を追う。「後続の3位グループが追いついてくる」「そうしたら國峰選手を抜いて引っ張る」つもりだったが、3位グループは追いついてくるどころかその差はどんどん広がった。「これは2台のバトルになる。(國峰選手の)ペースをみていたら自分はもう少しペースを上げる自信があったので無駄にタイヤを消耗させず最後の最後に抜かそう」と作戦を変更する。水野選手は冷静だった。
ラスト5周、國峰選手がペースを上げる、すかさず水野選手もペースを上げる。20周の長丁場のレース終盤に2分01秒645と予選よりも速いラップタイム。抜く場所は90度コーナーと決めていた。しかし、ここにきて90度コーナーでクラッシュが発生、黄旗区間となる。追い越し禁止だ。ファイナルラップには黄旗解除になることを予想しながら最後の勝負に挑もうとした矢先の18周目、國峰選手がまさかの転倒、これで決着がついた。
誕生日に全日本ロードレース2勝目を挙げる
「できれば國峰選手と最後までバトルをして勝ちたかった」と水野選手。悔しさは他にもある。2位に入った栗原佳祐選手は同じハルク・プロのチームメイト。栗原選手には予選で負けたし、前戦オートポリスでも負けた。國峰選手、栗原選手とは小さい頃から一緒に走ってきた旧知の仲。「彼らに勝たなければ評価されない。だから負けるわけにはいかない」のだと言う。全日本ロードレース2勝目は奇しくも水野選手の誕生日。しかしレースに集中していて誕生日を忘れていた。誕生日のお祝いよりもレースで勝てたことの方が遥かに嬉しい、と勝利の喜びをかみしめていたその顔は紛れもなく17歳の少年の笑顔であった。
photo & text : koma