Mishina’s Eye Vol.3

みなさん、約30年前の1984年4月に封切となった東宝映画の「F2グランプリ」をご存知でしょうか?

この映画はホンダのF2復帰をモデルにしたと言われる1981年に海老沢泰久さんが書いた小説「F2グランプリ」を原作とし、ホンダ、鈴鹿サーキットが全面的に協力したモノです。主演は中井貴一さんで走行シーンの吹き替えは、その後日本人初のパーマネントF1ドライバーとなる中嶋悟さんです。当時F2シリーズはCBCテレビが制作してTBS系列で放送されていました。その番組中でリポーターとして実際に登場する、その後F1解説などでおなじみの今宮純さんや、その後ニュースキャスターとして活躍する安藤優子さんも、それぞれ本人役で映画に出演しています。

当然ストーリー上必要なシーンは別撮影ですが、実際に1983年の鈴鹿サーキットF2シリーズ戦も撮影されており、当時の日本を代表するトップドライバー達や、改修前のコースや通称オメガタワーといわれたコントロールタワーやコースインゲートを通らなければピット前にマシンを出せないピット、レース前の観客席やセレモニーなどの雰囲気・・・今となっては懐かしい映像の数々を見ることができます。

実はこの映画、私の銀幕デビューなんです。といっても声だけ出演のサブ実況役なんですが。1983年の終わり頃だったか調布の撮影所にあるスタジオに行って録音した記憶があります。映像に合わせたのか、映像なしで台本に書かれていたものをしゃべったのか思い出せません。当然映画上のドライバー名なので、台本に台詞のように書かれていたのではと思います。

つい先日ひょんなことから、約30年ぶりに再び「F2グランプリ」を見ることができました。内容はすっかり忘れていましたが、先輩アナの流暢なしゃべりと違い、なんとも若く稚拙な自分のしゃべり・・・でもそれがその時に実力なんでしょうねぇ。映画の中では、レース中に先輩アナがしゃべっている姿を抜き撮りしたカットのひとつに、隣に立つ笑顔の私を見つけました。ほんの一瞬です。撮られているとは全く知りませんでした。

それはさて置き、当時は、映像モニターや自動計測のリアルタイムモニターも無い時代。どうやって見えないところを含めて実況放送をしていたのか・・・。きっと観客のみなさんは、自分たちよりもコースが良く見えるところでしゃべってると思っていたのかもしれません。
鈴鹿サーキットは東西に長くレイアウトされたコースで、グランドスタンドのある東コースと、ヘアピンスタンドのある西コースに放送設備がありました。フルコースを使うレースの時は、メイン、ヘアピンそれぞれの放送席にマイクが置かれ、基本的にはしゃべり手がリレー形式で交互に実況を繋いでいきます。いわゆる二元中継です。メインの放送席は観客席の上にあるとはいえコースの全てを一望することはできません。安全上からコース脇にあるガードレースやフェンスがどんどんと高くなり、ますます見えにくくなっています。80年代前半はガードレールも1段か2段、ピットやコントロールタワーも低く、メインの放送席から見える範囲は、最終コーナー手前のシケイン入口からメインストレート。1、2、3の複合コーナー、S字はガードレールにちょっと隠れますが、続く逆バンクは入り口部分が見え、その先は少しコントロールタワーの陰になり、7.8%勾配を行く後姿から、当時あったダンロップゲートをくぐるあたりまでです。一方ヘアピン放送席から見える範囲は、デグナーカーブの立ち上がりから立体交差下、110R、ヘアピンを立ち上がって200Rに入る手前まで。それと、立体交差上のガードレールの数十センチの隙間から、バックストレートを通過する一瞬を感じることができます。本当に一瞬ですから、何か物体が物凄いスピードで通過したのがわかる程度です。ということは、約6kmのフルコースのうち、メインで見える約2kmとヘアピンで見える数百mしかしゃべり手は目視することができません。最西部にあるスプーンカーブやバックストレッチなどの約半分は、放送席でもどうなっているのか見えない、わからない状況です。放送席から目視できるといっても、数百m以上離れたコース上で、特に2輪レースの場合マシンやライダーの判別はとても難しいです。ですから私にとっても強い味方、7倍〜10倍の良質な双眼鏡は必需品だったのです。メインの放送席から3コーナーを双眼鏡で覗いても、マシンは豆粒くらいにしか見えませんが・・・。

さて、メインとヘアピンの放送席の役割ですが、メインは場内放送全般のコントロールをします。ヘアピンは、いざレースがスタートした後、そこへやってくるタイミングでレース状況を伝えます。と言ってもヘアピン放送席ではレース進行やどんな争いが東コースで行われているか見ることはできません、ヘアピン放送席にはマイクとヘッドフォンがあるだけです。このヘッドフォンでメインの放送をモニターします。

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例えば、

メイン 「・・・3台の激しいトップ争いがダンロップゲートを潜り抜けて西コースに向かってまいりました・・・」

ヘアピン「それでは3周目ヘアピンからお伝えいたします。テール・トゥ・ノーズでデグナーカーブを立ち上がったトップ争い。2番手につけるゼッケン○番の○○○が110Rからブレーキングを遅らせてゼッケン○番の×××のインに飛び込んでヘアピンへ!やや強引にトップに浮上!!!・・・」

メイン 「・・・西コースで繰り広げられたトップ争いも、少し間隔があいてシケインへ! ゼッケン○番○○○がトップでコントロールラインを通過、周回は3周を終えて4周目に入りました。1位と2位の間隔は手元計測で2秒3・・・・・・」

ヘアピン「4周目ヘアピンです。東コースでリードを広げたトップのゼッケン○番○○○の後方から、2番手につけるゼッケン○番×××がペースをあげたのか、その差を縮めてヘアピンへさしかかります。ヘアピン入口の手元計測でその差は1秒5と縮まり、ヘアピンを立ち上がって200Rからスプーンカーブへ向かっていきます。・・・」

というような中継が行われます。当時放送席にあったマイクは、カラオケマイクのようにON・OFFのスイッチがついているタイプでした。しゃべり終わったらスイッチOFF。ヘアピン放送席でヘッドフォンをつけて、耳を澄ましてメインのしゃべる内容を聴いています。そしてスイッチを切った時に「プチッ!」というノイズが出ますので、そのノイズが聞こえたらヘアピン放送席マイクのスイッチONでしゃべりだします。そのレースで今注目しているところなど実況の幹を構成するのはメインの役目で、ヘアピンはその幹から大きく逸脱しないようにしながら、枝葉を伸ばせるように状況を中継します。ウソを伝えることはできません。観客は目の前を通る時以外はスピーカーから聞こえてくる実況しか情報がありません。ですから、放送を聞くだけでその状況がよりドラマチックに想像できるように、多少の誇張表現はしてました。だって目の前に戻ってくるのをワクワクしながら待っていると楽しいでしょ。よくレースは筋書きのないドラマだ!って言われますが、そのドラマに少しの味付けをするのが我々しゃべり手の仕事です。その味付けでよりおいしくレースを観られたら、それにこしたことないじゃないですか。でも味付けしすぎるとシラケてしまうのでほどほどに調整するのもしゃべり手の力量だと思います。まぁ素材が良いので、下手に味付けしない方がいい場合が多いですが。

80年代前半はヘアピン放送席にいることがほとんどでした。これがすごく勉強になりました。レース中、情報がないのでヘッドフォンから聞こえてくるメインの声だけを聴いて想像を膨らませます。だから言葉の言い回しや緩急、リズム、テンポ、間というものが、頭の中で映像を思い浮かべる上でとても大事なことに気付きました。

頭の中にその状況を思い浮かべ、ワクワクしながら立体交差下に現れるのを待っています。観客の皆さんとほぼ同じ感じです。
右手でマイクを握り、いつでもONにできるよう親指をスイッチにかけておきます。そして左手にストップウォッチ。場合によっては双眼鏡でデグナー出口を見ています。ヘッドフォンをつけ、合図のノイズを聞き逃さないように・・・。

「プチッ」

よし来たとばかりにスイッチONでしゃべりだしたのですが、なかなか立体交差下に現れません。おかしいなぁ、何かあったのだろうか。頭の中を不安がグルグル回っています。しばらくして何事もなかったようにトップ集団がデグナーを抜けて現れてきました。何ということはありません。メインの先輩アナがトップ集団がS字あたりにいるときに一旦スイッチをOFFにしたのです。咳払いをするために。それを例のノイズが聞こえたためバトンタッチされたと勘違いしてしゃべりだしてしまった私の早とちりでした。ということを2度3度、いやそれ以上何回も経験してしまいました。また、目の前をほぼ全車通過してしまったあとに、ノイズが聞こえることもありました。しゃべりたいことあったのに、でもタイミング的に入れません。何度も経験しているうちにタイミングよく割り込むことも覚えました。
先ほど「味付け」ということを書きました。味付けのひとつにデータなどの数字があります。「少し差が縮まりました。」も当然使うのですが、「先ほど1秒あった差が、0.8秒に縮まりました。」と言う方がリアルに縮まったことがつたわりますよね。「今年、何度もポールポジションを獲得しています・・・」も「2戦ぶり、今シーズン3度目のポールポジション獲得・・・」って言った方が、その選手の速さがより具体化して伝わのではないかと思います。漠然とした凄さより、より具体的な凄さを伝える、説得力を高めるためにデータ、数字は重要だと考えます。いずれ機会があればそんな「データ」についても書いていきたいと思っています。

久しぶりに「F2グランプリ」を見て懐かしさも手伝ってか思い出すままに書いてしまいました。

余談ですが、「F2グランプリ」が公開される1年ちょっと前の1982年12月に、角川映画「汚れた英雄」が封切られました。ヤマハ、スポーツランドSUGOの全面協力で制作された、大藪春彦さんの同名小説の映画です。主演は草刈正雄さんで、走行シーンの吹き替えは、その後ヤマハのエースから世界へ挑戦していくことになる平忠彦さん。レースアナウンサーとして伊武雅刀さんが異彩を放っていました。この映画を見た多くの方から、私はレースの実況やってますっていうと、映画みたいに机の上に乗っかってしゃべるのって聞かれました。笑ってごまかしていましたが、けっして机に乗ってしゃべるなんてしません。でも。後年MFJグランプリで屋根の上から実況したことあります。

そうだ確かF2グランプリの台本があったはずと探してみたのですが見つかりません。う〜ん、どこへ行ってしまった私の台本。