Mishina’s Eye Vol.8

1985-10_TBC_2

今回は前回、1985年の出来事の続きです。。
1985年の全日本ロードレース各クラスのタイトル争い。最終戦日本GPまで決まっていなかったのは500ccクラスとTT-F1クラス。TT-F1クラスは徳野政樹選手がランキングトップで迎えるはずだったが、おたふく風邪にかかってしまい欠場。一説によるとヘルメットが被れないほどリンパが腫れてしまったらしい。ランキング2位につけていた辻本聡選手が特別参加のワイン・ガードナー選手に続き2位でフィニッシュし逆転でTT-F1のタイトルを国際A級初年度に獲得した。
500ccクラスはポイントリーダーの平忠彦選手が第10戦SUGOで転倒ノーポイントとなり3点差で最終戦を迎えた。このクラスもワイン・ガードナー選手が優勝を飾り平選手が2位でゴールし3年連続500cc全日本チャンピオンに輝いた。

この年はこれ以外にもビッグレースがあった。9月末に行われたF2レースと同時開催の鈴鹿グレート2&4レース、10月第1週のTBCビッグロードレース、10月末の筑波フェスティバルだ。

鈴鹿グレート2&4ではTT-F1クラスが開催され、予選決勝とも雨、ウェットの戦いだった。直前の日本GPでTT-F1タイトルを獲得したばかりの辻本聡選手がポールポジションから独走優勝。

img045

1985-9-Great_2and4_2

TBCビッグロードレースはこの年13回目のSUGO恒例のイベント。まだ1周が2663.3mの1コーナー先にもシケインの出来た昔のSUGOのコースを舞台にヤマハのGPライダーがやってくるレース。かつてはケニーも走ったが、この年は1984年世界チャンピオン、1985年ランキング2位のエディ・ローソン選手と1984年250cc世界チャンピオン、1985年500ccランキング3位のクリスチャン・サロン選手がやってきた。
予選はドライ。ポールポジションはエディ・ローソン選手、予選2位に3年連続全日本チャンピオンとなった平 忠彦選手、3番手にクリスチャン・サロン選手がフロントローを獲得。

1985-10_TBC_3
決勝は2ヒート制で、両ヒートとも雨・ウェットで霧も出るコンディション。
第1ヒートはローソン選手が優勝、平選手が2位、河崎裕之選手が3位。サロン選手は最終シケイン手前の6コーナーで転倒リタイヤ。
続く第2ヒートはスタートでフロントが上がって遅れてしまったローソン選手が先行する木下恵司選手を捉えすぐにトップに立つと独走。木下選手を抜いて平選手が2位に浮上しローソン選手を追いかける。3位に上がった河崎選手が2コーナー、今のハイポイントあたりで転倒。その後、平選手は第1ヒートのサロン選手と同じ6コーナーで転倒してしまった。
結果、総合優勝は前年に続いてエディ・ローソン。総合2位に長谷川嘉久選手、総合3位に木下選手だった。当時私は岐阜放送の”THE BIKE”という番組に出演させてもらっており、その番組視聴者プレゼント用に、縦横30cmLPレコードサイズの公式プログラム10冊にエディ・ローソン選手やクリスチャン・サロン選手、平 忠彦選手達のサインを入れてもらった。今でも手元に自分用のものがある。宝物ですね。

IMG_2370

そして10月末の第6回筑波フェスティバルは、500cc、250cc、125c、TT-F1、TT-F3、N-F3、N250の7クラス開催された。土曜日は曇り空、日曜日は好天に恵まれた。
このイベント最大の注目は250ccクラス。何故なら3年連続500cc全日本チャンピオンとなり、翌1986年ワールド・グランプリ250ccクラスフル参戦と言われる平忠彦選手がTZで250ccにもエントリーしていた。全日本のシリーズ戦と違い異常なまでの緊迫感はライダー達から感じることはなかったが、この250ccクラスは違っていたように思う。250ccクラスには合計44名の国際A級、国際B級のライダーがエントリーし、2組に分かれて2回の予選が行われた。平選手はゼッケン90で予選2組目。1組目ではゼッケン14の石川了次選手がトップタイム。2組は徹底的な平マークがあったが、激しいアタック合戦になり、最後に逆転でゼッケン13の山本隆義選手がポールポジションを獲得。平選手は2番手、3番手にゼッケン17の冨田英志選手、4番手にゼッケン6片山信二選手と予選2組目のライダーがフロントローにマシンを並べることになった。

1985-10_筑波FES_250cc練習_3
25周の決勝レース。序盤は2列目7番グリッド、ゼッケン4新井亮一選手、2番グリッドの平選手、ポールポジションの山本選手がトップグループを形成。新井選手のテールに平選手がピタリと付け勝負を仕掛けようとした矢先、11周目の第2ヘアピンでトップの新井選手が転倒。直後の平選手も巻き込まれてしまった。間一髪このアクシデントを避けた山本選手が見事優勝。2位に5列目15番グリッドスタートのゼッケン16坂口 彰選手、3位に国際B級チャンピオンとなったゼッケン30塩森俊修選手が3列目11番グリッドスタートから表彰台を獲得した。巻き込まれての転倒に終わった平選手、250ccでもトップクラスの速さは本物だった。そういえば、この年のワールド・グランプリでは、フレディ・スペンサー選手が500ccと250ccにダブルエントリーして、両クラスで世界チャンピオンを獲得しましたね。

1985-10_筑波FES_Paddoc_島田 進_RGΓ
500ccクラスは2番グリッドスタートの水谷勝選手が優勝。2位にポールポジションスタートの河崎裕之選手。3位が3番グリッドスタートの平選手。パドックでは河崎選手のマシンのタンクに顎をつけんばかりにしてカウルの視認性?あるいはメーター回り?を見る水谷選手の長野メカ。お返しに水谷選手のマシンの傍らに立ちじっとエンジン回り?を見つめるヤマハの松本メカ。こんなシーンがありました。

1985-10_筑波FES_水谷勝

TT-F1クラスは2番グリッドからスタートした上野真一選手がヤマハFZで優勝を飾り、2位に5番グリッドスタートのスズキRGΓ島田 進選手。3位は4番グリッドスタートのスズキRGΓ伊藤 巧選手が入った。TT-F3クラスは2番グリッドスタートのヤマハFZRに乗る平塚庄治選手が優勝。2位にポールポジションスタートのホンダRVF徳野政樹選手。3位に5番グリッドスタートRZに乗る国際B級塩森俊修選手となった。125ccクラスはポールポジションスタートの栗谷二郎選手が独走優勝。2位に10番グリッドスタートの向井慎吾選手、3位に13番グリッドスタートの小川敬義選手が表彰台を獲得した。

1985-10_筑波FES_上野真一

つらつらと書いてしまいましたが、この2年前の1983年、宮城 光選手や山本浩生選手などスーパーノービスといわれたライダーたちによって、オートバイレースの盛り上がりの兆しが見えました。そして大きなうねりへと変わっていったのが、この1985年ではないかと私は思います。

1985-10_筑波FES_Paddoc_1