Mishina’s Eye Vol.14-2

1984_Australia-12-2_第1レースコースイン直前_2

気になる宮城選手だが、やはりケガをしているようだ。森脇さんが「これから第2レースがあるのでチームスタッフがここを離れられないので、宮城に付き添って病院へ行ってくれないか」と私に言ってきた。もちろん私はここにいてもカセットに向かってしゃべっているだけなので、この時こそチームの役にたてるならと宮城選手とともに病院へ行った。宮城選手は転倒時に左鎖骨を骨折してしまっていた。宮城選手の処置が終わるまで病院の待合室で待っているのだが、誰もいない待合室にポツンと私一人。ボーッと外を眺めたりしていたが、ふと柱の上の方に目をやるとテレビが置かれていた。そしてオーランパークの生中継が放送されていた。音声は絞られていて映像だけ。第2レースがはじまり何周目かわからないが、テレビ画面はアンドリュー・ジョンソンがトップを独走している映像だった。

1984_Australia-12-2_病院から帰ってきた宮城を心配して大勢が車を取り囲む

「ジョンソンがトップなんだぁ・・・」ちょうど映像はトップのジョンソンを追いかけているときだったのだろう。ほかの順位は分からなかった。ジョンソンが立体交差を下ってバルボリンS字を切り返す時だったか、彼のRS500がハイサイドを起こした。路面に叩き付けられたジョンソン選手はすぐに起き上がり、後続が来る前にコース上から小走りで退避していきグリーンに倒れこんだ。その後は宮城選手の処置が終わったのか待合室でバタバタしてしまい見ていない。第2レースも終わりポールさんが病院に迎えに来て宮城選手と私はサーキットに戻った。どうやら第2レースもガードナー選手が勝ったらしい。そして八代選手は6位でゴールしたということだった。転倒したジョンソン選手、その時両足を骨折していたらしい。その話を聞いたとき、私は病院の待合室のテレビで見たグリーンに向かって小走りしていたジョンソン選手を思い出していた。「あのときすでに骨折していたんだぁ・・・」
オーランパークでの3番目の事件はレース1宮城選手の転倒から宮城選手の「初」骨折でした。

1984_Australia-12-2_宮城を見舞うガードナー

12月3日月曜日は休養日。シドニーを少し観光。そして12月4日火曜日にスワンシリーズ第3の地クイーンズランド州サーファーズパラダイスへの移動。800kmから900kmの移動距離になる。オーランパークではいろいろとあり疲労困憊のはずの雑賀メカと二橋メカが交代でトラックを運転する。この移動で私はトラックに乗せてもらった。その日の夜10時頃サーファーズパラダイスの宿舎に到着した。ゴールドコースト、サーファーズパラダイスはオーストラリアきってのリゾート地。宿舎もビーチまで歩いて5分もかからないところにあった。コンドミニアムタイプで部屋の前にはプールもある。一気にレースモードからリゾートモードに切り替わってしまった。

1984_Australia-12-3_シドニー観光_5

12月5日水曜日。それぞれ思い思いにプールで泳いだり、ビーチへ出かけたり。森脇さんは近くの川へ釣りに出かけた。一緒に行って見ていると、何かがヒットした。「何が喰ったんだろう」と森脇さん。リールを巻いて引き寄せてみると、なんとウナギが水面に顔を出した。恐るべし森脇さん「サーファーズパラダイスでウナギを釣る」。

つづく

1984_Australia-12-5_ウナギ

1984_Australia-12-3_シドニー観光_1

1984_Australia-12-3_シドニー観光_4